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人が自分で死ぬこと

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自殺する人は、心が弱い人。
くじけずにガンバロウ。
そんなメッセージの本や記事や映画は数多とみてきた。
それでもねぇ。

そんな人の気持ちは以前よりはずっとよくわかる。
きっと、こうなんだろうな。
ガマンできなかったのだろう。無理もないよ。
背景を推測することすらネガティブだと思える時期は過ぎて、あやうくそういう気分に傾くことを抑えているかんじ。

秋葉原で無差別殺人した男性も、さぞかし苦しかったろう。
人を殺すのは決して肯定できないが、そこまでさせてしまったのはカレだけの責任か?
「甘えるな」という言葉はカンタンだ。
問題のある人間にすべておしつければいいのだから。
そのくせ、事件があれば「相談に乗ってあげればよかったのに」とか偽善ぶるコメンターも多い。
あとになってみればいくらでもいえる。

自殺というのは、個人にとっても家族にとっても1つ、メリットがある。
その日に亡くなることが予期できれば、残されるであろう遺品の整理もできるし、その扱いも紙に残すことができる。

「世の中には、生きたくても生きれない人もいる」
それも真実だ。
でも、「生きる」って、どういうことだろう。
会社では部下に仕事をさせるために弱音は吐かず、そればかりか明るい態度で接しなくてはならず、そのくせ、同僚からは時折理不尽な扱いも受けるが「わかりました」と社会人らしく平気で振舞う必要性がある。
家に帰れば「おかえり」と家族の誰かに言われることはあっても、それ以外のねぎらいの言葉をきくことは何年もない。雨や台風でびしょぬれでなんとか帰宅しても、だ。
別に優しい言葉は必要ない。
必要なのは、ごく普通の家族としてあるべき言葉。
だから、会社の帰りに家に直行するのではなく、コンビニかスーパーでちょいとした買い物をする。
レジでは向こうも業務として当然ながら、キチンとした受け答えや「ありがとうございます」の言葉をきける。
「そんな買い物、しない方が小遣いが残るんじゃない?」
無粋な「妻」という肩書きの人間が余計なことを口走る。
ほっとけ。
誰にもわからない心の病をかかえる人は、ボク以外にも、きっといるにちがいない。
生きている、てのは、息をしていることではない。
一人で生きるのなら、それでもいい。
でも言葉を語れる存在があるのに、それを無言で拒否されることに、その活動を継続する意味があるのか。

そんな不完全ではあっても「家族」といえるかどうか、ここ数年、ジレンマにとらわれ続けている。

でも、「清算する」のは、負け。
人間としての忍耐力くらい、他人よりも劣っていない証明をしなくてはなるまい。
でも、そんな波が寄せては返す。
苦しみは、いつまで続くのか。
by pmrider | 2010-08-29 22:26 | 写真 | Comments(0)