走りながら考えること
そう、信じている。
それが原因で転倒したり、今日の天海祐希みたいに心筋梗塞になれば話は別だが、そんなことをいちいち心配していては、なにもチャレンジできない。
今の季節にしては低温傾向。
走るには適している。
早めに帰宅して、6時過ぎにナイトランの出発。
いつもならもっと暗い時間に出発するので夜光タスキは忘れないのだが、今日はまだ明るかったので持ってくるの、忘れた・・
約8キロ地点。新京橋。
10キロ過ぎてから、さらにペースは上がったことは嬉しい。
16キロで終了。
走りながら考えるのは、最初は仕事のことでもあり「こんなときに残業しないで走ってるけど、まあ、いいじゃん」とシガラミを振り払う。
そして、次には、家族からランニングのことを理解されないことを憂うのだが所詮「自分が亡くなってみれば、残した数字を見て、努力の度合いをわかってくれるはずだ」とアイロニックに考える。
先日48キロ走ったことでも、「あっそう」みたいな感想は、ちょっと傷つく。
ちょっとウェイト過剰気味な高校生の娘に、この楽しさを伝えられればいいのに、とか考える。
親の贔屓目を差し引いても、かなりいいセンの美形な少女と一緒に走るシーンを想像して満足してみたりする。
ウサギとカメ。
ボクはむしろ、カメでありたい。
いろんなウサギやいろんなカメがそれぞれ、極めたい山の頂を持っている。
誰よりも急いで行き、実はその途中で足を痛めたり、うっかり油断するウサギよりも、時間がかかってもいいから、目標を確実に達成することが、ボクの手法だと考える。
できれば、そんな言葉を子供に残しておきたいが、いつもタイミングを逸する。
家族からは、ランニングの話をするたびに「(いい年をして)いい加減にしないと怪我するよ」みたいな反応ばかりで、意欲をそがれる。
1日に2回走って、Tシャツを洗濯してもらうのは、なんだか申し訳ないので、1日に1回しか走る気になれない。
それでも、やめる気になれないのは、自分でも、その価値を認めているから。
子供や、ヨメさんや周りの家族との連携感がそがれている今、やることは、自分の成長を感じたい、という欲求のみ。
いつか、家族の一人でも、ボクのやっていることの価値をわかってくれれば、それで満足かもしれない・・・