児島半島港めぐり100キロマラソン・レース終了
第6回大会。
スタッフとしてマラソン大会に関わるのは2回目(といっても1回目は軽いお手伝いだけ)だし、今回は朝5時のスタートに合わせて、スタッフは朝3時集合。
場所は鷲羽山。
家からはだいたい1時間はかかる。
・・ということで、集合場所(およびスタート&ゴール)のすぐそばの鷲羽山ユースホステルに前泊。
それにしても、3時集合なら、2時半には起きて準備が必要。
だから、なるべく早くユースに着いて、フロはいって酒かっくらって寝ておかなくては。
大会当日も23時くらいまでいなくてはならないようだし。
この日は仕事なので、なんとか定時で帰り、夕食は家で済ませて、着替えてすぐにバイクで18時半頃出発。
予定通り、19時半頃に着いたのだが・・空には17夜・立待月の明るい光。
さらに、瀬戸大橋はライトアップされている。
これは、見ておかなくては・・
見にくいけど、下を電車が走ってます
チェックインしたが、他のスタッフはまだいないようだ。
相部屋、ときいていたが。
部屋は8人部屋の2段ベッド。
とりあえず、さっさと済ませて、21時には就寝したが・・
22時頃に別のスタッフの男性が着いて、しばらく部屋が明るい。
ちょっと寝そびれた・・
さらに、海も近いし、廊下はけっこう冷えていたのでエアコンはいらないだろう、と思ってちょっと窓を開けておいたら、網戸が十分ではなかったようで、虫が入ってきたようだ・・
寝苦しいまま、結局は2時間くらいうとうとしただけ?
3時前には支度して集合場所へ。
テント設営、テーブル設置、そのうち選手が受付に来る。
今回スタッフで加わった女性スタッフのKさんはFB上でしか知らなかったけど、実物に会いました。(笑
別の女性スタッフのYさんと話すと「次は村岡66キロなんです」と。すげー!
この大会用のTシャツをもらい、着替える。
スタッフであることがよくわかる。
腕章には「先導」と書いてある。
うーん、先導は、いつものランナーに頼むことができたので、要らない、とは直前にきいていたが・・
まあ、いい。
ガチガチに役目を決められるよりも、あとは自分で考えるほうが楽だ。
仕事は先導と、貝殻山のエイドの手伝い。
それ以外は、自由に動いて写真を撮ろう。
まだ月が明るい
主催者のFさんはずっとバタバタで、とても大変そうだ。
レース開始の前になっても忙しい。
開始が迫るので、開会式の挨拶も、とてもシンプル。
結局5分遅れの5:05に、レースはスタート!
ほとんどの人はヘッドライトを使う。
気温はさほど高くないが、蒸し暑さは残る、9月の薄明。
しばらくして、こちらはリュックとタンクバッグ・ウエストバッグをつけて、バイクで追走。
下は半パンの上に長ズボンのトレーニングウエア。上はTシャツだ。
競艇場の前で、歩道を走る先頭の選手集団がいたが、左側を走っている。右側にいかないと、エイドに寄れないので、手振りで道を渡るよう指示。
クルマが少ないから、まだ大丈夫。
写真を撮ろうと試みたが、まだこの明るさではうまくいかない。
しかも、正面から撮るとなると、走って近づく選手の速さがよくわからず、意外に早く近距離に来てしまうので、タイミングがつかめず、結局は、早めにシャッターを押すので、姿がやや小さい・・・
オールスポーツの方の苦労がわかる。(少しだけ)
平成橋
ここで、50人程度の参加者なのだが、かなりの先頭と末尾の差がある。
先導役兼カメラマン泣かせだ(^^
コースの中で、分岐がわかりにくくて気になっていた箇所を、記録を気にする先頭集団のために正しく案内するように先回りしていましたが、そこらの民家の人にも協力をお願いしていたようで、唐琴とか王子が岳の登り口も大丈夫そうだったので、先を急ぎました。
王子が岳の登り口では2~3人の方がでてきてくれていました。
(A保さんの左後ろ)
コース下見のときから、気になっていた分岐が、王子が岳山頂を越えてから玉野市滝のほうに曲がる箇所。
王子が岳に登る県道の途中なので、もちろん民家はないので、しばらくここで様子を見ながら「オールスポーツ」することにしました。
もしも、ボクが選手なら、走っている写真は欲しいに決まっている。
さらに、できれば、苦しい表情ではなく、笑顔になるなら、このキツいコースならば前半、しかもフラットか下りの道。
ここは、その条件に適っていました。
朝6時半くらい。月が残る空。
こんなふうに下ってきて
こちらへ曲がる。
玉付近。もうすぐスタートから3時間
玉野市街を抜けて、海に出る。日の出海岸付近
大藪付近
このあたりの道路横断が危険なので見ていたのですが、まあ、いいかな、と先を急ぎました。
問題があったのは、このあとの山田中の前の横断歩道。
これは正しい例
ここを渡らずに直進すると、やがてとても狭い歩道になり、危険。
反対側の広い歩道に誘導すべきなのに、矢印のカンバンが見にくいと判断しました。
(げんに2名ほど直進していました)
Fさんに電話が通じないのでメールで状況説明。
すぐにクルマで駆けつけていただき、カンバン設置。
ついでに、Fさんから「野崎の給水所で水が足りないので、スーパーで買ってきて、補充してください」と。
「何本くらいですか?」
「そうですね、6本入り1箱」
「・・・いやぁ、バイクでは・・・」
「そっか・・では、積めるだけでいいです」
「わかりました」
近くに、スーパーのタマヤがあるのは知っている。
今日は東児が丘レディースゴルフ大会があるので、大型送迎バスが、塩田跡に作られた臨時駐車場とゴルフ場をピストン輸送しているので、混雑している。
そこを抜けて店に着いたが、・・・なんだか暗いぞ。
時計を見ると、8時50分。
開店時刻は9時だ。
そか・・まだこんな時間だったとは・・
待つこともできたが、ここはすぐ近くのサークルKに方針を変えて、2L98円のサントリー天然水があったので、6本「買占め」ました。
普通のリュックに3本と、タンクバッグには他の荷物もあったので1本。
あとはナイロン袋の2本いれたまま左手首にかけて走りました。
給水場に荷をおろし、塩田跡の直線路でちょっと撮影。
これはミールさん。
アングル的にはいいのだが、ここは皆さん、暑さにバテ気味だ・・
貝殻山までは、途中で「がんばってください!」と選手に声をかけながら走る。
崖くずれのために変更されたルートへの分岐路で、いままでは通行止めだった道に「通行止め」の標識がなくなっていたので、そのまま走ってみました。
道路は修復されて、問題はありませんでした。
ならば、こっちのほうが選手にとってはまだ楽なのだろうが、そうすると、距離が足りなくなるので、以前にあったように、一旦スタートから逆戻りして距離をかせぐ、変則的なルートになってしまうので、どっちがいいかはわからないな・・
だが、少なくとも、今回のルートの坂道の厳しさには、多くのランナーが苦戦を強いられていました。
貝殻山エイドは、トップのMさんはスタートからほぼ4時間の9時7分に通過したそうだ。
50キロを4時間。しかも、もちろん起伏が激しいコース。
2位は約25分遅れ。
4位のミールさんは10時00分だから、ざっと1時間遅れ。
トップは驚異的だ。
あとからきくと、朝の涼しい時間にペースをあげる作戦だったらしい。
げんに、復路は5時間程度だったようだ。
気温は、やはり30℃を超えた。
山の中の木の陰は、バイクで走るとやや涼しいが、走る選手にとってはあまり変わらないのだろう・・
歩く人もほとんどだったかも。
最初から欠場の選手を含めて、この時点で52人中4名ほどリタイア。
あとは、訪れた選手に飲み物や食事をサービス。
持ち物を忘れてスタートしてしまった選手を、バイクで追いかけたのもありました。
12時くらいか、おそらく視覚障がい者K保さんの知り合いと思われる3世代の女性3人がきて、K保さんの様子をききにきて、心配しておられる。
1時の関門時刻が近づき、このエイドの責任者の男性が本部とも連絡しているようだ。
やはり、道に迷った人がいるらしい。
なんとしても完走を目指すK保さんは、応援で駆けつけたTさんとともに貝殻山を登り始めた、とかの情報がFBからはいる。
結局、13時20分頃、42位で到着。
14時には片付けを手伝い、本部へバイクで戻りました。
喉がかわく。
田井地あたりからはルートをそのまま戻り、体調不良な選手はいないか、または反対の歩道を走る選手に「声かけ+応援」して走りました。
75キロ付近で、毎月のチャリランでお見かけする森川さんハッケン。
他の選手と明らかに足の軽さが違いました。
その前方、約5キロ以内なら「射程範囲だな」と思っていたら、たしか王子が岳の坂道があったにせよ、2人を抜いて、1ケタでのゴールだったはず。お見事。
ライブ中継すればよかった(笑
児島に近づき、なんだか眠気のために判断が鈍る。
ハローズでバイクを止めて、ちょっと柱に腰掛けて目を閉じていたら「なんしょんじゃろ、この人」みたいな子供の声が聞こえたので、また走りました。
ちょうど、ゴール近くの坂道でミールさんをみかけました。
ゴール!5位。
11時間半くらい。
調子をおききするといつも「足が痛くて・・」と言われるが、そんなものは卓越したウルトラランナーにはハンディに過ぎないかも。
ユースに荷物をとりにいき、今日は泊まらないで帰ることにして、チェックアウト。
置かせてもらってた荷物をまとめて、談話ルームみたいな広間でイスに座り、しばし仮眠。
2~30分かな・・でも、ちょっと元気はでました。
窓から見える風景。かなりイイ。
本部で様子をみていて、「たこ飯があるよ」と言われて、ペーパートレイによそおうとしたら、Fさんから「バイクで積めるだけ、飲み物を王子が岳の向こうのエイドに運んで」と言われたので「たこ飯食べてすぐでもいいですか?」ときき「いいよ」とは言われたのだが、しばらくして「他の人に運んでもらうから、PMさんはいい」と言われてしまいました。
悪かったなぁ・・
あとは、数十分ごとにあるゴールシーンのため、ゴールゲート(固定ではなく、竹につないだ横断幕を、都度都度持ち上げる、そして、ゴールテープ。
K保さんのゴールをなんとしても見届けるように、Tさんからも言い渡されていましたが、時々伝わる状況から、22時の時点で、あと1時間以上はかかる・・との見通しなので、残念ながら帰ることにしました。
帰る道すがら、さみRUNさんがいたので、声かけだけして走り去りました。
本当に、選手の人は満足できただろうか。
迷子の人がいた、というのはちょっと残念だ。
でも、ゴールではみんな笑顔で、その瞬間は人生の勝者に値する大きな価値を得ているのだ。
末筆にて。
エイドステーションにて。
100キロなんて、ボクにはまだ無理だが、相当苦しいだろうが、でも、選手の人のほうが、なんだかやたら羨ましかった・・
次回はエイドではなく、逆の立場で参加できるだろうか・・・?