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心労の終わり?始まり?

思えば1月のはじめに会社から通告された「売り上げが赤字なので、費用削減のために所属セクションから出て行け」により、今のスキルを活かした他部署への異動を検討したが、それも無理。
なので、「退職するか、空きのある営業職に移るか」と突きつけられた宣告。

この年で、経験のない営業職、それもノルマのきついことはわかっている(退職者が多い)に、いくら「チャレンジ!」する精神が尊いと思ってはいても、これはムリ。
いままでのソフトウエア開発関連のチャレンジなら、できると思うが。
ならば、新天地を探すしかない。
ピンチではあるが、これをチャンスにするために。

1月末あたりから、ハローワークの求人サイトを見てみると、ボクのレガシーなスキル「COBOLプログラミング」を求める企業も、少なくはない。
もちろん、JAVA・C#などのオープン系の新しいスキルのほうが求められているにせよ・・

駅前のハローワークプラザで相談し、紹介状を作ってもらう。
そして、数十年ぶりに履歴書を書くが、業務経歴書は昔のことが思い出せず。仕方なく簡略化した形式に。

まあまあの地元有名企業に応募の書類を送る。
まずは書類選考、そしてOKがでれば面接に呼ばれる、というのが流れらしい。

しかし、10日ほどたって、文書で家に不採用通知が届く。
これまでのいきさつは家族には話す勇気がない(恥ずかしくて)のでナイショなので、もしも「なにこれ」とヨメさんに聞かれるとそれ相応の理由を考えねばならず、そういう事態を想定はしたが、実際は問い合わせはなし。

ついに、月半ばすぎに、某B社から面接日程の電話を受ける。やったー、ってカンジ。

その日に早速緊張しながら訪問してみると、採用先は地元ではないとか、1年経つとプロジェクトは終わりなので、その後の身の振り方が保障できないとか、一番コタえたのが
「年齢・・xx歳ですね、うーん」
この年になって再就職すること自体あまりないことだと思うし、これだけは努力では変えることができない。

検討の期間を1週間もらい、それまでにもがいていたが、このままたとえば時給の低いアルバイトでなんとか我慢するとか、それをヨメさんや子供たちに伝えることが、かなりの苦痛。
だから、できるだけ何も話さない。
自分で解決する。
事情を説明するにしても、これこれ、こういうことがあったけど、これで大丈夫、と、ハッピーエンドにしたい。

先の見えない毎日で、今の会社では手続きが迫る。
表向きはリストラとはいえ、今は閑職ではない。むしろ毎日なにかしら仕事が追ってくる。
月末に必ず発生する作業には、ある程度の「慣れ」が必要だが、ボクしか担当していないので、少しずつ引継ぎはしているが、引継ぎ相手にレクチャーするにつれ、不安はかなりある。
会社からの指示では、いくら伸ばしても、社員として在籍するのは3月20日まで。
せめて、3月末までは在籍して、サポートしてあげたいので、21日以降はスタッフリーダー(パート社員)として勤務を継続することにしました。
これだと、個人的には退職に伴う有給の買取で損をするのだけど、あとで「(さっさと出て行った)アイツのせいでこんな目に」と思われるのがイヤなので、あえてこの選択にする。

某B社に、回答のリミットの日に、ダメもとで、1年限定でもいいから採用してくれる企業があればお願いします、と依頼。
あとは、考えよう。

すると、数日後、某B社より、県内で、引き合いの企業があるので、という打診が。
もちろん、話を進めてもらうよう懇願しました。
これはネガティブな気分で、ハローワークプラザを訪れたあとの帰り道の出来事。

昨日、某B社の面接担当の部長さんより、企業の担当者から面接したい、との打診があるけど、どうしますか?の連絡。
もちろん「いつでもお伺いします」と回答。
すると、しばらくして「明日でもいいですか?」と。
もちろん、即答でOKと。

で、今日の朝9時に岡山駅西口で待ち合わせて、某B社の面接担当の方と営業の女性Fさんとクルマで福山のユーザへ。
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駅前では、卒業式のせいなのか、袴の女性が目立つ・
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11時からの面談の結果、採用についてはOKの結果だったが、担当する作業はかなり難しいし、納期も厳しいし、遂行するためのハードルもかなり高そうだ。
でも、今はこれに賭けるしかない。
勤務先も実は以前に勤務していた岡山市内中心部のビルのすぐ近く、という因縁。

一通りの面談を終えて、某B社のお二人と一緒に昼食。
尾道ラーメンにしました。580円。
この値段でこの味なら儲け。
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駅で降ろしてもらい、バスで家に14時半頃に帰って、すぐに会社から連絡があり、すぐに行くほうがよさそうな雰囲気。
それほどの事件ではなかったものの、建前は休みにしていたのに、1時間ほど対応してから帰宅しました。

途中の旭川河川敷。工事がほとんど終わったようだ。
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一連の就職活動に終わりが見えてきた。
それまでは不確定な未来に、メンタル面でかなりプレッシャーがあり、それを家族の誰にも話せない苦痛はありましたが、今後は新しい仕事をうまくこなせるかどうかの不安がある。

まだ、苦しみは続く。少しカタチは変わったのせよ・・


この一連の閉塞感のせいで、年初に申し込むつもりだった「そうじゃマラソン」はパスし、それ以降の大会は、すべてエントリーする気になれなかった。
先の見えない、収入の安定しない状況では、とてもではないが、遊びにカネを使う気分にはなれなかった・・・
by pmrider | 2015-03-12 22:57 | Comments(0)