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未 収 の 夜

1980年代のコンピュータ業界あるある(笑
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 夜の10時前。
 梅雨特有の、湿気の加担した暑さがまだ残っていた。交差点からゆるい坂道をすこし歩くと、マンションを兼ねた事務所の9階建てのビルが、白い姿をぼんやりと映していた。派遣会社のオペレータである彼は、エレベータではなく、階段で3階まで上がる。シャッターの端の通用口から入って廊下を右へいくと、電算室だ。
 「おはようございまあす」
小田はちょっと上半身を曲げたが、やはりいつものとおり、ユーザー達はもうその部屋には残っていなかった。服をロッカーにしまって、作業用のジャンパーをハンガーからはずそうとしたら、
 「ごくろうさんです」
と、彼と交替になる、2直の馬場がマシン室から出てくるなり、言った。
 「おっおっ小田さん、今日、デッキでEQC(*1)がよくでるんですよ。更新JOB、気をつけて、くっください」
 「あっ そう」
 舌打ちしそうになりながら、小田は生返事をした。なにせ、この馬場はあまり信頼できない。いつも、なにかというと、ポカをやらかす。まあ、もう一度ソルベント(*2)でクリーニングすればいいだろ、と思いながら、彼も馬場と同じジャンパーに着替えて、業務日誌に目を移した。
 程無く、もう一人の松崎が現れた。きょうは、小田と夜勤となる。
 普段からとくに口数は多くはないが、てきぱきと仕事をこなす松崎を見て、小田も安心した。
 「松崎い、今日、未収だから、な」
 未収とは、彼らの扱う信販系の業務になくてはならない、債権取り立ての為の文書の作成を行う作業である。いつもよりは忙しくなる。
 松崎も初めてではないので、ああそう、という風にうなずき、黙々と仕事の準備をしていた。
 小田は、この未収の作業が、始めは興味があった。こんなに大きな金額を払う程の人がいたのか、とか、不謹慎ではあるが、一体、どんな取り立てがされるんだろう、とか考えていた時もあった。しかし、ある時から、何百万もの金額をたとえば明日までに返済せよ、などという請求書を見る度に、返す人のことを考えて、心苦しくなった。そう思いだすと、夜明けまでの何時間かをこの夜の闇と共に過ごすのが、すこし苦痛にも感じた。多分、朝5時頃の忙しさにかまけてそんな余裕はないだろうと思ってはみても。

 朝2時。
 作業も一段落し、小田は、いつものとおり、松崎にあと2時間を頼むことにして、夜食と休憩をとることにした。この夜勤では、体もきついので、完全に相手に任せる時間を決めている。2時間後からは小田の担当となる。
 すこし眠気を感じて、彼はいすを並べて横になった。
 かなり長い夢を見た、と思ったとたん、誰かに起こされた。松崎だ。
 「小田さん、ちょっと」
 マシン室へ入った。
 「どうも、MTデッキの調子が悪い」
 「EQCか?」
 「うん、それもなんですが、メッセージがどうも・・」
 「コンソールの?」
 「ええ、まあ・・」
 センターコンソールを小田が見てみた。赤い警告メッセージが3つほど上に並んでいた。どうも、字が化けているみたいで、エラーの状態はよくわからない。こんなことは今までになかった。
 「松崎、とりあえず、ヘッド掃除してMTかけてみてよ」
 小田は一旦マシン室から出て、サブコンソールのパワーをいれた。ログをファイルに落とし、メッセージのコードを調べた。
 「どうもJEFコード(*3)らしいが、・・ん・我・・われ に債 権 を?  行使する   もの 全てに・・・・・死! ええっ!」
 彼がガラス越しにマシン室に顔を上げると同時に、松崎がMTをかける姿が見えた。
 「まつざきい!」
 叫びながら、彼がドアを開けようとすると、何の具合か、引っ掛かって、動かない。  ドアを叩く小田の耳に聞こえたのは、松崎の叫び声だった。しかし、マシンの空調装置のせいで、中の音は、外でははるかに小さく聞こえるのは、
小田もわかっていた。窓を覗いた。
 小田は信じられなかった。
 松崎は、たしかにデッキの前に立っていた。
 両手の肘から先をなくしたままの姿で。
 デッキは?デッキはMTをセットすれば、ガラスの扉が下から閉まる。
デッキの中には、松崎のセットしたMTがあった。ただし、彼の2本の腕をからめたまま、奇妙な騒音と紅の大理石のような模様を描きながら・・・・。

 とび起きたと同時に、一瞬、自分のいる場所がわからず、小田はきょろきょろしてしまった。ほどなく、松崎がマシン室から出てきた。
 「!!ま まつざきい・・」
 「??? どうしたんです 小田さん」
 「い、いや・・」
 小田は、松崎の手を確認した。こめかみに汗が流れるのを感じながら、平静を取り戻そうとしていた。
 「ちょっと見てくれませんか。MTがかからないんです。」
 小田は、顔の色が変わっていくのを悟られないようにして、みっともない程、間をおいて、答えた。
 「待ってくれ。調べるから。」
 飲み残しのぬるいコーラを口へ流し込んでから、彼は、JOBのフローを探した。
 今のJOBは何か。フローを追う。あった。[取立最終通知]
 つまり、これで、裁判所の預かりになることへの承諾書のようなものだ。
あとは差し押さえが待っているのだろう。ひょっとしてこのせいで、悪夢が現実になるのだろうか。まさか。小田はどちらかといえば現実論者であった筈だ。ほんの少し前までは。
 件数を見た。それほど多くない。
 「松崎、これ、DASD(*4)にかえよう」
 「でも、件数が多いんじゃあ・・」
 「いや、大丈夫。それに馬場が、EQCがでるって言ってたからな」
 なんとか、あの悪夢を再現したくなくて、彼は別の方法を選んだ。はたして、なんの問題もなく、こんどは小田の担当する時間がきた。

 NLP(*5)の用紙の交換要求がコンソールに表示された。
 小田は、用紙コードを確認してから、NLPの紙のセットを行った。
 コマンドで印刷開始を指示した。それから彼はNLPのそばへ確認しに近寄った。
 なにか、文字以外のものが印刷されていた。
 「おかしいな」
 一度、プリントを止めて、印刷されたものを見た。さっきのトナーの交換の時、散ってしまったのかな、と、手に持っていた用紙を捨てようとして、
彼はもういちどその模様を見た。
 (こ これは・・・・)
 まるで、なんどもダビングしたビデオの画面のようではあったが、人の頭や、足がなんとか判別できた。その、ゼロコンマ数秒のちに、彼の顔色は、みるみる青ざめた。
 それは、首を吊っている男の絵にほかならなかった。

 「そりゃ、いくらかはあっただろうけど、」
 ユーザーの桑野が笑いながら言った。
 「借りる方にも悪い奴はいるんだから、一方的にこちらを責めるのはおかしいよ」
 ビールのグラスをぐっと空にした。小田は、ビンを持って、注いだ。
 「そうですか。まあ、僕も疲れてたかなあ」
 「うん、まあ、小田が少なくとも、おかしかった、とはいってないよ。
完全に根も葉もない噂ではないんだけど・・」
 「噂?」
 「ん、まあ、いい。飲もう。久し振りじゃない。」


 「ま 松崎さっさん。これ、空調の奥片づけてたら、でっ出てきたんですが、・・」
 「なに それ」
 「さっさあ、ぼぼかあ、虫の死骸じゃあないかと・・・」
 「なに言っとん。なんかカリントウかなんかのお菓子の残りやろ」
 「でっでも、これ5つくらい手形みたいにかたまって、落ちてたんです
が・・」
 「ええから、捨てときゃええよ。馬場」

ー 完 ー

*1 EQC
  テープ記憶装置の読みとりエラー。監視用コンソールにはデバイス名と共に赤文字で表示され、オペレータに警告を示す。

*2 ソルベント 
テープ記憶装置のヘッド部のクリーナ用液剤。エラーの原因はこれでクリーニングすることである程度解消する。

*3 JEFコード
某社の漢字コード。

*4 DASD
汎用機用ハードディスク。

*5 NLP
日本語用ページプリンタ
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※本ストーリィは架空ですが、設定その他は作者の体験に基づいています。


1998.12.02 より前release

by pmrider | 2018-01-12 21:32 | シリーズ「SB37] | Comments(0)