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迅冷シンディ

昔書いたストーリィ

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「迅冷シンディ」

 うだるような8月の暑さの中、明人(あきと)は、乗ってきた水冷4気筒のバイクをマンションの脇のわずかな日陰に置くと、すぐさまヘルメットを脱いだ。
暑いのは慣れっこだが、ヘルメットを着用する時と、頭から外す時がどうしても不快だった。汗が湿ってぴったりとした髪がその主たる原因だが、取り出したハンドタオルで拭えるだけ拭いながら、メットを腕に通して,3階建てのマンションの階段を足早にあがっていった。
明人の勤務する電気機器メーカの同僚の晃司の部屋のドアホンを鳴らす。
「おう。入れよ」晃司が招き入れた。
部屋の中にはクーラーがきいていて、明人はようやく息をふき返したような気分になる・・・・はずだった。でも彼は入るなり顔をしかめた。
「あ・・・・・・あっつぅーーー」
「あ、今、実験中なんで、冷房は禁止なんだ」晃司はこともなげに答えた。
「なんなんだよ・・・実験って・・あのなぁ、」明人は、やや憮然としていた。
「オマエがさぁ、このクソ暑いのに、重大な話があるから協力してくれ、っていうからきてやったのに、・・・早くクーラーつけてくれよ。暑い。」
「まあまて。そうだ、ビール、飲むか?」
「バカいえ。バイクで来たんだ。どうせなら麦茶かなにかでいいよ」
「わかった。では」晃司は部屋の奥から戻ってきて、「ほい」と明人にスチール缶を渡した。ウーロン茶の表示があった。しかし、それを手にとるやいなや、明人は晃司を睨むようにつぶやいた。
「これはジョークか?まぁ、いいけど。」明人が手にとった缶は、冷やしたものではなく、ただの常温の缶だった。
リングプルに指をかけた途端、晃司が声をかけた。「まあまて。」
「そういうアンラッキーな時って、よくあるだろ?」
「・・・・どういうことだ?」明人はそのままの姿勢で晃司をしばらくの間見つめた。 「その缶がさ、冷え冷えだったら、どんなに嬉しいかって」
「そりゃそうだが。」明人は、暑さをしばし忘れて、いらいらした表情を冷静なそれに戻した。
「一体、なんでオレを呼んだんだ?それから聞こう」明人は、メットを側の整理棚の上に置き,これもすぐ側にあった椅子に座った。
「それでは、リクエストにお答えしようかな。こっちにきてくれ。おっと、その缶も持ってきてくれよ」

奥の部屋には、乱雑なパーツがあたかも繁殖中のように,大きめのデスクの上を存分に占領していた。晃司は端から、電源コードを繋いだまま、保温ボトルのような形状で鈍くシルバーに光るものを手に、明人の前に近づいた。
「これ、さ。」晃司は「それ」を明人にはっきり見えるように差し出した。
「なんだい、これ。」
「まずは見てもらおう。」晃司は明人に、ウーロン茶の缶を渡すよう促し、それを受け取ると、その「もの」の側面にある透明なフタを開き、缶を中に入れた。
試作品らしく、不器用にはめこんだ丸いダイヤルを晃司は左にちょいと回した。
そして、スイッチらしき赤いボタンを押した。タイマーの音が低く鳴り続けた後、その「もの」が仕事を終えたような音がした。多分10秒ほどだ。
「できたよ。ほら」晃司が、中から取り出した缶を明人にほおり投げた。
受け取った明人は、とたんに缶をしばしも握っていられないように両手の中で交互に小さく左右に投げあい続けるのだった。まるで、熱いものをちゃんと握れないように。でも、原因は全く逆だった。
「あっちぃ~・・・じゃなくて、こりゃなんだ・・・・・冷たいんだ!」
手のひらの皮を引っ張られるかのような感覚さえあるほど、先ほどのウーロン茶の缶は冷え切っていた。しかし、冷蔵庫で誤って凍結させてしまったような重心移動はない。ちゃんと、中身は氷にはなっていないようだった。
「どうだい?飲んでくれ。思い切りぐいっと」晃司がにこやかに言った。
少し温度が戻ってきた缶を握って、明人はリングプルを開けた。そして口をつけてみた。中の香りはまちがいなく本物のようだ。少し流し込む。そして、我慢できなくなって、一気に中身を口の中へぶちまけた。
「美味い!」

元々、それは彼らの開発テーマの一つでもあった。
消費者の満足をいかにすくい取れるかを研究テーマに、膨大なモニターアンケートの結果を収集し、その中から実現性の高いものを選んで予算をつぎ込む。
ところが、晃司の作り上げたものは、その選択からは漏れてしまったもののはずだった。完成すれば顧客満足度は高い。でも、その実現性に関しては開発費等を含めてマイナス要因が多すぎた。それでも、晃司は完成できたようだった。
「迅冷シンディ、って名前付けたんだ」晃司はやや恥ずかしげに説明した。
「機能的には電子レンジの逆。だから、言葉を逆さまにして、ちょっとひねった。ま,仮称だから」
彼の説明によれば、タイマー式で急冷できる冷却装置(シンディ、という愛称で呼ぼう)は、電子レンジを使用するべき対象を,即座に作り上げることができる。
水分のみを分離して凍結するのとは違う。ちゃんと、その解凍とのサイクリックな成分の保持が保証されている。
「でもさ、」明人はふと疑問を感じた。「その容量では、実用には耐えられないんじゃないかな?」
ポットのようなその装置では、せいぜい500CCの缶ぐらいまでしか装着できないように見えたからだ。
「それは、ボクも思った。」晃司はその疑問を予期したかのように答えた。「実は、その解決策はあるのだが・・・」
彼は、ゴミの山のようなデスクの上から、バネの先にアイスピックが付いたようなものを引っ張りだした。シンディのアタッチメントのように、それを接続すると、今度は彼は後ろの箱の中からバナナを取り出した。
「刺すか、近づけるだけでいいんだけど、」晃司はそのアイスピックをバナナに刺して、再度シンディを作動させた。見る間に、バナナは白っぽく凍結していった。
「見ろよ」凍結したバナナを掴んで、明人にはそこらにあったやや細い角材を渡し、横にしっかり持たせたまま、バナナをえいや、っと角材に振り下ろした。
角材は折れて、バナナも少し真ん中で裂けた。
「例えば、このセンサーをスープの鍋に浸すと、中身だけが凍結する。牛乳に浸けると、いきなり砂糖なしミルクアイスが出来てしまう」晃司は説明した。「でも、もしも誤って別のモノに作動してしまったら、という安全保証の点で困っている」
「おい・・・」明人はふと身の危険を感じてたじろいだ。「まさか、それをオレに頼むために・・・呼んだんじゃないだろうな?」
「まさか」晃司は微笑みながら首を横に振った。「人体実験は、またモルモットでも使ってやるさ。ただ、な・・」
晃司はいいにくそうに小声で言った。
「作動させた結果が予想できないモノがある。例えば」
ロールキャベツ。または、杏仁豆腐。単品のみならいいが、複合した物質については、一概に結果が予想できない、と晃司は説明した。ほんのセンサーの位置によって、中にある物質またはその周辺の液体を冷却してしまう。どちらか一方にのみシンディが作用しているのは、センサーの調整不足によるものだ、と彼は思っているようだ。
「でさ、」さすがに、額に汗の雫を見せながら、晃司は明人に話した。「オマエだったら、専門分野だろ?こういうの」
確かに、明人はその道では上司にも一目置かれていた。もちろん、技術者としての彼として、興味がわかないはずはない。
「わかった。じゃ、少し時間をくれ。シンディ、持って帰ってもいいか?」
「もちろんだ。それからいままでのデータもカードに入れているから持っていってくれ」
晃司は「あまり保たないけど」といいながら小型バッテリーも渡した。

テレワーク勤務のために設けられた、社員用のコンパクトなラボに明人はいた。最低限の生活を数日間通して続けられるくらいの設備も整った部屋だ。
センサーに組み込むプログラムを毎日少しずついじりながら、明人はシンディをただの家電製品とは思えなくなっていた。
凍結させるまでもなく、少し冷却したい場合にも、シンディは有効だ。
最初は、自分の部屋で冷えの足りないビールに使っていたりした明人だが、冷却度合いを,凍結させるまでに至らないまま、一定に保つ方法を発見した。
扇風機にかざしていれば、冷風が来ることもわかった。
「それならば」と、明人は一計を案じた。ヘルメットにセンサーを差し込むソケットを作った。そして、バイクで出かける時に、バッテリーを使ってリュックにシンディを入れて、アタッチメントをそのソケットに刺した。
幾度か温度の調整したのち、明人はエアコン付の乗用車と同等の快適さでバイクを走らせていた。
また、うっかりポットのお湯を指にかけてしまって、慌てて冷水を流しっぱなしにして患部を冷やしたことがあった。でも「まてよ」と思った彼は、シンディのセンサーをおそるおそる指に近づけた。感度をなるべく絞ったせいで,効果てきめん、とはいかなかったが、その後,痛みはほとんど残らなかった。
「臓器の移植時にも使えるのかもな」
と明人は思った。そればかりか、もっと応用範囲が広がる予感もしていた。
ある日、とことん暑い日の夕方、蒸し風呂状態の部屋で、いらいらした気分でエアコンをつける直前、彼はある実験を思いついた。
シンディの感度をいままでにない大きさにして、部屋の中央の空間にかざした。
(ま、そんなことはないと思うけど)
という彼のネガティブな予想に反して、部屋の温度は急速に下がっていくのがわかった。
驚いた彼は、さらに、駐車場まで走っていくと、強烈な西日に晒されていた乗用車の車内に入り、すぐさま流れ落ちる汗をぬぐおうともせず、同じ実験を行った。
容積の関係であろう。部屋でやったよりも、はるかに効果は絶大だった。

「うーん、こいつはすごいや」
明人は部屋のテーブルにシンディを鎮座ましまして、低い視線からみつめていた。
センサーを指でくるくるといじりながら、彼はどんな利用法があるかをわくわくしながら考えていた。そして、指から落ちたセンサーがテーブルの上の何かに当たった音がしたが、それは気にしないで、彼はさらに、晃司と一緒に、会社の最上階の大会議室で誇らしげにシンディの機能と販売戦略の発表をしているイメージを思い描いていた。それで地位が上がるとかいう理由ではなく、画期的な製品を作るプロセスに関与し得た満足感で明人は思わず笑みを隠さずにはおれなかった。
その時、コール音が聞こえた。
テーブルに置いてあった携帯を取り、明人は応答した。友人の(というのは同僚向けの建前だが、本当は彼女といっても差し支えない)由里からの電話だった。
そういえば、シンディに関わってからというものの、それまで2日に一度だった会話も、挨拶程度で終わってしまっていた。明人は反省し、出来る限り優しい言葉で応答したが、シンディのことはもう少し秘密にしたかったため、すべてを話すのを必死で我慢しながら30分ほど話を続けた。
最後は由里の方から「じゃあ」と言って切った。

1週間ほどして、資料を携えて、明人は晃司の部屋を訪れた。
しかし、以前ほどの軽やかな足取りで階段を上がってはいなかった。
なぜなら、2日前の夜、いきなり由里からごく短い絶縁の電話を受け取ったからだ。
自分の非はあったことは認めるが、それにしても、最近のシンディへの大きな夢と相まって、そのショックは小さいとはいえない。本当は外に出る気にもなれなかったのだが、晃司との約束の期日もあったし、重い足を引きずってようやく彼は晃司の部屋の前にたどり着いた。
「おぅ。待ってたよ」
晃司は,それまで少しずつ報告していた明人の実験結果に,彼以上の達成感を感じていたのは容易に見てとれた。
「オマエに頼んだのは正解だったな。いよっ,家電界のビルゲイツ!」
どうせならジョブズと言って欲しかった、というくだらないこだわりもストレスと感じながら、明人はそれでもシンディの素晴らしさを信じることで気分を紛らわせたかった。
「でもさ、こないだ、ちょっと気になることがあってさ・・・」晃司は、あまり深刻そうではなかった。「こっちでも[シンディ2号機]を使っていたんだけど、ちょっとメディアプレイヤにセンサーが触れていたまま作動したみたいなんだ」
「?それで?」
「聞いてみるか?」
晃司は洋楽からジャズからJPOPからKPOPや、あらゆるジャンルの曲を明人に聞かせた。
「どうだ?」
「何が?」晃司の音楽の趣味は明人とは少し違っていたので、ピンとこなかった。
「なんだか、・・・・それ以前と違うんだよ。そう、・・・音がキンキンと、まるで冷たくなってしまったみたいだと思わないか?」
「・・・今、なんて言った?」
「冷たい感じがするんだ。全く安定した素材だというのにさ。まるで・・・・」晃司は教室で先生に手を上げたにもかかわらず、突然答えを忘れた生徒のように答えた。
「まるで、シンディが・・・そうしてしまったかのように・・・」
そう言われて、明人は改めて耳を澄ませてライブコンサートのMCの声を聞いた。
もともと流暢に喋るMCには、たしかに人間的な温かさが失われているように思えた。
「どうしてこうなるのか、理由がわからないんだが・・たいした問題じゃないさ。きっと。」晃司は元通りに平気な様子だった。「でもさ、これであの偉そうな課長がたまげる顔が見られるんだから、いい気分だよな」
「ああ・・そうだな」
「お?なんだか元気ないな」晃司はやや眉を潜めた。
「あ、いや、その、シンディの機能については全く問題なかったよ。こっちの実験では。ただ・・」明人は、躊躇いながら重い口を開き、由里のことを晃司に話した。
「そっか、そういえば・・・」晃司は、彼の彼女(奈都美)からの話だ、と前置きして続けた。お互い、彼女は同じ勤務先にいる。「なんだか、明人から見捨てられた、とか言っていたらしい。いや、シンディが関係していないとは思うんだけどな・・」
「そんなはずはないんだが・・」
「そうだ、たしか・・・8月18日だったかな?あの日、奈都美に由里から電話があったらしい。なんだかあの人、冷たいの、って・・」
「8月18日・・・あの日は」明人は記憶を手繰った。あの日。シンディを前にして会話したあの日。「普通に話を続けたはず・・だが」
「それそれ。なんだ、ずーっと、まるで、邪魔者みたいな扱いされた、と思ったらしいぞ。由里ちゃん」
「ばかいえ。こっちは普通以上に丁寧に・・・」ふと、彼の記憶が蘇った。たしか、携帯をとった時に傍らにあったシンディのセンサー・・・「まさか・・・そんなことが・・」

シンディは晃司の発案・開発として彼らの電気機器メーカの製品化会議の席で正式にGOサインが出た。
そして様々なチェックを経て製品となって市場を席巻する日も間近に見えた。
明人はそっとその表舞台から身を引き、シンディのことは忘れようとしていた。
風の噂に由里の行方も耳にしたが、それも記憶の彼方に押し込めようと努力する日々が彼には無限に続くように思えた。

    <完>

[あとがき]
どーしよーもない暑い夏に思いついた寓話。
本当にあればいいんですけどね。
でも、今の世にあるモノで、開発前は「そんなモノができるはずがない」というモノも
たくさんあったはず。
展開のネタには「みちる」さんにもご協力いただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。


2000.08.24 release

時代背景を加味して加筆しました。
2022.7.2 updated


by pmrider | 2018-01-17 22:53 | シリーズ「SB37] | Comments(0)