b0057140_2293070.jpg

自殺する人は、心が弱い人。
くじけずにガンバロウ。
そんなメッセージの本や記事や映画は数多とみてきた。
それでもねぇ。

そんな人の気持ちは以前よりはずっとよくわかる。
きっと、こうなんだろうな。
ガマンできなかったのだろう。無理もないよ。
背景を推測することすらネガティブだと思える時期は過ぎて、あやうくそういう気分に傾くことを抑えているかんじ。

秋葉原で無差別殺人した男性も、さぞかし苦しかったろう。
人を殺すのは決して肯定できないが、そこまでさせてしまったのはカレだけの責任か?
「甘えるな」という言葉はカンタンだ。
問題のある人間にすべておしつければいいのだから。
そのくせ、事件があれば「相談に乗ってあげればよかったのに」とか偽善ぶるコメンターも多い。
あとになってみればいくらでもいえる。

自殺というのは、個人にとっても家族にとっても1つ、メリットがある。
その日に亡くなることが予期できれば、残されるであろう遺品の整理もできるし、その扱いも紙に残すことができる。

「世の中には、生きたくても生きれない人もいる」
それも真実だ。
でも、「生きる」って、どういうことだろう。
会社では部下に仕事をさせるために弱音は吐かず、そればかりか明るい態度で接しなくてはならず、そのくせ、同僚からは時折理不尽な扱いも受けるが「わかりました」と社会人らしく平気で振舞う必要性がある。
家に帰れば「おかえり」と家族の誰かに言われることはあっても、それ以外のねぎらいの言葉をきくことは何年もない。雨や台風でびしょぬれでなんとか帰宅しても、だ。
別に優しい言葉は必要ない。
必要なのは、ごく普通の家族としてあるべき言葉。
だから、会社の帰りに家に直行するのではなく、コンビニかスーパーでちょいとした買い物をする。
レジでは向こうも業務として当然ながら、キチンとした受け答えや「ありがとうございます」の言葉をきける。
「そんな買い物、しない方が小遣いが残るんじゃない?」
無粋な「妻」という肩書きの人間が余計なことを口走る。
ほっとけ。
誰にもわからない心の病をかかえる人は、ボク以外にも、きっといるにちがいない。
生きている、てのは、息をしていることではない。
一人で生きるのなら、それでもいい。
でも言葉を語れる存在があるのに、それを無言で拒否されることに、その活動を継続する意味があるのか。

そんな不完全ではあっても「家族」といえるかどうか、ここ数年、ジレンマにとらわれ続けている。

でも、「清算する」のは、負け。
人間としての忍耐力くらい、他人よりも劣っていない証明をしなくてはなるまい。
でも、そんな波が寄せては返す。
苦しみは、いつまで続くのか。
いまやほとんど使わないJCBカードから「年会費が引き落とせない」との通知がきていたので、今日が午前休なのを幸いに預け入れに行きました。
10時頃だから、バイクでは、あっつい!

向かったのは 三菱東京UFJ銀行。
ボクが口座を開いたのは「三和銀行」。
(当時のクレジットカードなんて、いまやお宝カモ。)

以前もこういうことがあり、西川交差点のノッポなビルの1Fに行ったことがあるが、今日は、そこは「テナント募集」のカンバンのある空きオフィスがあるだけ。

移転したのか?

困った・・・・

そこで役立つのはiPhoneで、ぐぐってみたら、岡山支店の住所は平和町、とでた。
マップでみると、ここから歩いても5分かからない。

通帳で入金すると、即座に引き落とされていた・・・はや。

結婚してから自分で給与を管理することがなくなり、ATMを使うことなんて、今や頻度は大幅に減ったなぁ・・・。



今日も暑い。
外を長時間出歩くのはさだめし自殺行為???