祝祭日も仕事になる日々につれて、日曜日の過ごし方が重要になる。

休日には体を休めることが、仕事に関しては大事なことなのだが、ただ、グースカ寝ているだけではいけない。

土曜日には、仕事で20時過ぎになったが、実母に直接「彼岸だからお墓参りする?」と確認するために家まで寄り、「行きたい」との確証を得る。
(電話してもよいのだが、携帯は操作がわからず、固定電話だと出るまでに細い廊下を歩かせることが心配なので)
日曜日はヘルパーさんが11:30に来るので、それを避けて9時に家まで迎えに行くことを伝える。

それより前に、日曜の14時には、母を委ねることのできそうな市内のグループホームの見学に行くことで、義姉と14時に海吉の現場で待ち合わせの約束もある。

せっかくの休みには走りたい。
では、母を迎えに行く前か、後か。
5時半には目が覚めて、とりあえず身支度をしているうちに、6:30には走りにいくことで自分の気持ちに折り合いを。

児島湾大橋
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約4キロ地点
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コスモスと、たわわになりそうな稲穂
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マンジュシャゲ3兄弟(笑
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約11キロを走れて、自分では納得。

シャワーを浴びる。と思ったが、残り湯がまだ温かいので、それで済ます。

9時までに実母の家に行き、途中で花を買ったものの、ハサミを忘れていたので、むやみに背の高い花を生ける。
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お供えにはモルツ
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足元の覚束ない母を見かねて、危ない箇所(8割ほど)は母をおぶって墓までの階段を上り降りする。
最近は食が細く、体重も44キロ程度になってしまったので、それほどの重さではない。

母の隣に住む母の実弟の(叔父さんだが)もちょうど墓参りに来ていたのだが、母には実弟に会った自覚がない。

母を家まで送り届けて、QBハウスで2ヶ月ぶりにサンパツしてからは、帰宅して自分でパスタを作って昼食。
12時前。

こないだ介護センターでの会合で、母の記録として「お盆にお寺さんとケンカした」という記述があったので、詳しいことをきくために、白十字でお菓子を買ってから、バイクで市内のR寺へ。
生憎、事務センターは休み。

14時までに東区のグループホームまで行き、義姉と待ち合わせて見学に伺う。
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施設は清潔そうで、築3年程度。
機能としては十分に見えるが、「終の棲家」としてボクだったら選ぶだろうか。いや、そこまでは妥協できないかも。
しかし、今の母の状況からすれば、そのほうがいいかも。

来週は新庄トレイルランのボランティアがあるので、実際に母を連れてきて見学させるのはもっと先になる。
しかし、母の生活向上もしくは機能維持のためには、選んでもらわなくては困る。

夕方、1時間半ほど、ベッドで寝る。シエスタ。
そうまでしなくては、明日からの仕事に支障がでそうだ。

個人的には、来週からは仕事はさらに30分早く7時からの出勤とするよう、言い渡されている(反論の余地なし)。
「早く(定時なら16時)帰れるよ」とは言われるが、仕事は早く終われるような状況ではない。
苦しさはさらに増すかも。
それを伝えたり、ソリューションを相談する相手も皆無だ。
苦しさは、いつか、プラスになる。それを信じるだけだ。



滝付近の美しい池
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他の完走ランナーさんや、完走を目指していたランナーさんのことを記事で読むと、思い入れがボクとはハンパなく大きいように思える。
全力を出し尽くし、その強い意思を持ち、維持できることが夢の実現のカギになるのではないかと愚考する。

全力を出し尽くしてしまうと、終わってから一人で片づけして、無事家まで帰宅して、なにごともなかったかのように家で振舞うことが難しい。
ボクの場合、家族はランニングにはまったく興味ないし、ましてやそれでケガや疲れた表情をしていると「それみたことか!」みたいに否定的な言葉を投げかけられる。(に決まっている)
フルマラソンで死力を振り絞ってゴールして道に倒れた川内優輝選手に、駆け寄って毛布をかけてくれる人はいなくて、ほっちらかし。
そんな予感が、全力ではなく、余力を残した上でのゴールを計算しようとする。

ランニングは大事な生き方なのだが、働くことも無視はできない。
今の職場の雰囲気は、休みがとりにくく、少しダラけた行動をしていると、いつのまにか「業務改善」の名前の元に、他の社員から「危険行為」みたいに摘発される可能性もある。(そういう意見を発することがノルマのようになっているから)
今回は大会の翌日を休みにできたが、仕事に行くからには、脚の痛みを理由に仕事をおろそかにはできない。
必ず回復しなくては。

それでも、今回のコース上で出崎口には、その近所に住む義理の父母がいる。
義父は昔、児島半島のリレーマラソンに出た、という話をしたことがあり、「いつ頃ですか?」「中学かのぉ」「義父さんが走った距離は?」「40キロくらいじゃったか・」(←ありえんし)
みたいに、正確な状況はよくわからないけど、正月はたいてい箱根駅伝のTVを見ているから、ウチの家族の中では一番ボクを理解してくれそうな人だ。
85歳を過ぎて、歩くのも心配な義父が、もしも来てくれるなら、せめて一緒の写真の1枚でも撮れれば、と思って、出崎口の通過予想時刻を9時から10時、と伝えておきました。
36キロ地点なので、それぐらいなら、と。でも、実際は10時25分くらいに到着。
エイドのそばにはスタッフの人しかいませんでした。
「少し前に、老人夫妻がきてなかったですか?」とスタッフに訊いてみるが「さぁ・・?」と。
宇野駅からはスイーパの方と走ったり歩いたりを繰り返していましたが、ここの近くの後閑からは道も狭いので列も1列になり、登り坂だけどずっと走っていけました。
やっともうすぐ約束の場所に着く、という気持ちがあったと思う。

家に住む妻や子供にも、コースなど情報は伝えたけど「じゃあ、ちょっと応援に行こうかな」という家族はなし。
こちらからは「一日中走っているから、このコースのどこでも、ちょっとクルマで走ってみれば、お父さんのやっていることがすこしはわかってもらえるんだけどね」とは話したのだが。

あとは想像だが、もしも、それで彼らが「わかった。ゴールで待つわ」と言ってくれたら、ボクは簡単にリタイアしただろうか。
途中の「八浜くらいにでも見に行く」と一言あれば、そこまでは、必ず走ったのではないだろうか。

そんなエモーションを与えられてゴールできた、ボク以外のランナーさんたちはさぞかし幸福だろう。
もちろん、そんな「逢瀬の約束」がなくても、走りきれる脚力こそ必要なのだろうが・・


いろいろと宣伝・豪語していたワリには、あっさりリタイアです・・
やはり、甘いもんじゃない。

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土曜日は18時まで仕事で、急いで帰宅すると、フロは娘が入っている・・・
さっさと食事とフロを済ませて、明日の準備も済ませて遅くとも21時には寝なくては。

それでもだいたい予定通りに済ませて、就寝。
昨年まで、ボランティアで参加したときよりははるかに睡眠時間は確保できている。
鷲羽山ユースホステルで前泊したときは、ほとんど寝られなかった・・


さて、当日の2:40に目覚ましをセットして、起きる。
車で児島まで45分程度なので、それを計算にいれて準備。

テーピング
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ウルトラ用(?)5本指靴下
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準備していた短パンを見ると、腰のヒモの一方がウエアの中に引き込まれていて、締めることができない。
以前より、洗濯に出す前には必ずゆるくでも結んでいたものだが、いつのまにかほどける場合多し。
ヨメさんに言わせれば「そんなん、すぐ引っ張り出せるが」ということなのだが、こういう急ぐときは困ることが、わかっていない。
仕方がない。別の短パンでいく。
オニギリ1個だけ食べて、出発。

車を運転して、しばらくして、ヘッドランプをどこに入れたか思い出せなくて、途中でバッグを探すが、・・・ない。
行きはまだいいかもしれないが、長い夜のセクションで必要なのは、ボランティアをしていてよくわかっている。
しかし、だ。

集合場所近くのカーブが繰り返す道で、誘導員がいる。従来はランナーだったS水さんだ。
「(スタート地点近くの)駐車場はいっぱいなんで、展望台の駐車場に行ってください」といわれる。
たちまち、ライトが必要になる状況。
ここからはiPhoneのライトでしのいだが・・

短パンといい、ヘッドランプといい、なんとなくマイナス要素を感じる。

受付で、知り合いのM川さんにきいてみると、小型のLEDライトを貸してもらいました。ありがたい。

今回は参加ランナーも80名以上なので、大会規模も「大きいなー」という印象。
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いつものことながら、F原さんの演出として、記念写真を撮るのだが、スタートの5時ピッタリを、どうしてもオーバーしてしまう。今回は特別、いままでの参加会に応じて集まったメンバで記念写真を撮る。メンバの入れ替えで時間がかかり、結局スタートは5:10。

LEDライトは点けたけど、すぐに不要となるような空の明るさ。

東の空
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岡山の最低気温は19.5℃。暑さはない。
前を行くのは、昨年の女子の覇者K加さん。
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走ってみると、確かにエイドは多く、「何が要りますか?」とたいてい訊かれるけど、途中からはちょっと答えに迷うような。

最初の難所、王子ガ岳も、ほとんど上りは歩きだったが、案外早く済ませられたカンジ。

下りにはいり、昨年はランナーだったが今年はボラのS田さんが「ここ、野犬がいるんですよ」と指差す。
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追いかけられると、速くなる??(^^;


王子ケ岳の下りは快適で、滝までに、ボクよりはずっと早い男性ランナーを追い越す。
下りはちょっとキツいのはよくわかる。

降りてからの公民館のエイドでトイレに入り、その間にかなりのランナーが通過して追い越していった模様。
まだ朝7時くらい。
生活のリズムとしては、これくらいでトイレに行きたくなる(^^

まだ20キロくらいなのに、さほど気温も高くないのに、ちょっとしんどい。

ゼッケンがあるので、犬の散歩中の男性に「どこまで走るん?」と訊かれる。
「鷲羽山からスタートで、貝殻山まで行って、往復するんです」
「貝殻山・・」
「金甲山の向こうです」
「ええー!(どっひゃ~)」みたいな。

しばらくして、赤信号で止まっているとモズ先生ら4人ほどの集団と合流する。
よく見ると、そのうち一人は「最後尾」のスイーパのM嶋さん。

もう、最後尾かよ!

モズ先生は「このペースを守れば、ウルトラならごく普通のペース」と何度も説明されるが、ボクとしてはこのペースを守るのも、やや怪しい・・

最後尾の女性は、ボクの少し後ろをずっと走ってきていて、なんとなく、おいつかれたらヤバいな・・と思いながら、でもあがらないペースで走っていました。

宇野駅前で、ボクがトイレに寄ったタイミングで、最後尾はボクになりました。

M嶋さんは適当な会話量で合わせてくれましたが、歩きが続くと「このまま歩いていては、さすがに制限時間が18Hでも厳しい。そろそろ走ろう」と促される。

意外な場所でのK畑さんエイド。
冷たい麦茶が美味しかった。
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「次はスイカがあるよ」とのフリにM嶋さんは大いに期待していたようでしたが、少なくともボクと一緒のときのルートでは出現してもらえませんでした。

出崎口では、事前に伝えておいた、そこの近所に住む義父母から「アナタはいつ頃通過するの」と質問されていて、もしも応援できてくれるなら「9時から10時くらいかな」と答えておきました。36キロ地点だから、それくらい、と予想したけど、実際の通過時刻は10時半くらい。
待たせていたかどうかの真偽も、まだ不明。

塩田跡の広大なソーラーパネルの並ぶ横を走っていると、M嶋さんの次のスイーパーのH崎さんの車がちょっと先に止まる。
「リタイアするかどうか訊かれるかもね」とM嶋さん。

13時の関門はおそらくクリアできそうだが、ここからずっとゴールまで歩いていると、ギリで間に合わない、というM嶋さんの計算。


脚の調子と、自分の意思を考えた上、出した結論は「リタイアする。しかし、せめて中間点の50キロまで行き、再度そこでジャッジする」ということ。

金甲山登山口エイドでは、110キロのAコースの選手もまだ多く立ち寄っている。

貝殻山は、基本、歩きで、わずかなフラットOR下りでは走りました。
意外に風はあり、木陰は夏の暑さを防いでくれていました。

貝殻山頂上エイドで、リタイアの意思と、50キロまで行きたい旨をD力さんに伝えると。どうも、ピックアップしてくれるクルマがない。
エイドの撤収時に合わせて行こうにも、乗客がいっぱい。
それは50キロ地点も一緒。
F原さんはムリ、O郷さんはヨメさんの併走しなくてはならず、とりあえずこの場所からなら、今ここにいるスタッフの人が植松まで移動する車に乗せてもらえるので、あとはJRで児島駅まで自力で行って、と言われました。
それしかない。

クルマで、帰りのコースをそのまま辿っていると、知り合いのランナーもまだ頑張っていて、こちらは心苦しい。
と同時に両脚の甲の部分に痛みがあり、やむを得ない選択だったかと自分に言い聞かせる。

植松駅の下で降りて、駅に行くが、各駅停車の瀬戸大橋線は1時間に1本で、25分くらい待つことになる。

まだ、宣伝している。
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児島駅で降りて、計算上は4キロ程度の鷲羽山までの道を、半分ラン、半分歩き。

本部で、F原さんに声かけして、経緯を説明し、ついでに「たこめし」をもらう。
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完走のスパイスはないが、以前よりも美味しく感じました。
世話しておられた「大和魂」の元ウルトラランナーの女性からは「完走なんてすると、味覚が変わるから、今の方がいいのよ」と。

帰りのクルマはかなり眠たくて危険を感じたので、途中でちょっとだけ仮眠。
しかし暑いので、再び走り出しましたが、頑張って完走すれば、帰宅するのも苦労したのかな、とも思いました。
帰宅してすぐ、1時間半ほど、ベッドで睡眠。

スイーパのM嶋さんとの話で「月間150キロくらいしか走ってないんです」と話すと
「うーん(せめて200キロ以上は走りこまないと)ウルトラは無理だね」みたいな反応でした。
今は年金生活のM嶋さんみたいに、走る時間を十分に確保してから、再チャレンジすべきか。
悔しさはないが心残りはある。
借りは返すべきだろう。



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ランニングを始めたのは、2009年11月。
誰かに誘われたのでもなく、TVですばらしいランナーをみかけたワケでもない。

子供達もある程度の年齢まで成長し、親と一緒に行動することが少なくなって、ボクの自分の生き方を潜在的に考え直していたのかもしれない。
ユニクロではあったが、トレーニングウエアの上下を買う。
安物ではあるが、ちょっと使ってそのままゴミ扱い、にはしたくない。せめて使い続ける。
当時のSNSはmixiではあったが、走ることを記述し残すことで、周りのマイミクからもなんらかの反応をもらうことが励みになりました。

週に一度、日曜にしか走らない。
そのうち、RUNNETのサイトに走行距離を記録するようになり、いつも走りながらiPodShuffleで聴いていた音楽も、iPhone(GS3)を購入するにいたってからはiPhoneでの音楽に変わる。
2010年の3月。
フリーソフトのRunKeeperで、自分の走行距離をありのままに記録するようになってからは、その距離の伸びも励みになる。

いままでの人生では、仕事をいかに楽に進めるために、ショートカットして(=誤魔化して)済ませることに終始していた日々。
でも、それがまったくできない、むしろ、それをすることが恥ずべきこととなる、価値観の変換。

一番最初は1.5キロ。
近所の岡南大橋を渡ろうとして、半ばまでいって、息が切れてそのまま帰宅。
まだ、喫煙習慣のあった頃。(2010年9月よりいままで禁煙)

そのうち新岡山港までの往復で3キロまでいくが、往路は走って、復路は歩くテイタラク。
当時は「仕事に支障でないように、絶対にムリはしない」のが信念。
今から思えば、バカげている。

でも、週1とはいえ、継続していたのは確か。
雨などもあったと思うが、それほどのブランクはなかった。

旭川の河川敷を走っていて、見知らぬ高齢ランナーから声をかけられ、しばらく併走したときがありました。
高齢ランナーの方は「浦安あたりから10キロ走ってきている」と説明され「へぇ~~~!」と大いに感心したものでしたが、今思えば、ごく普通の距離。

しかし、この10キロが、なかなか走れない。

2011年7月2日、RUNNETのダイアリーで、ようやく旭川河川敷コースで10キロRUNを達成したことが残っていました。
この年の4月に、東日本大震災チャリティランに出会ったことも影響していると思う。
その年の11月27日、初めての10キロマラソン大会「第2回花回廊マラソン」で10キロ完走。
2月のそうじゃでの「脚だめし」5.4キロに続き、これが大会参加の本格的なスタート。
55M22S。

2012年と2013年に、そうじゃ吉備路マラソンではハーフ完走。
2014年のそうじゃと小豆島タートルはフルで途中リタイア。この年8月の右足骨折の影響もある。

2015年の第1回おかやまマラソン、2016年のそうじゃ吉備路、小豆島タートルではフル完走。
2017年の高知龍馬マラソンでフル4回目の完走。

しかし、いまや、周りの知り合いのランナーは、フルどころかそれ以上の距離のマラソン・マラニックの完走者ばかり。
肩身は狭い。

児島半島港めぐり100キロマラソンを知ったのは、たぶん、第5回大会で、その日にコースを家族とドライブしていて「100キロマラソンしてる?!」と、みかけたランナーに他人事のように驚異の目を向けた頃。(2012年?)
第6回からは、ボランティアとして参加させてもらい、主催者のF原さんともコースの下見などで長時間ご一緒しました。

大会、というよりは、練習会の延長の意味合いが濃いので、オフィシャルな宣伝や協力要請のできない体制。
おそらく、当時の風潮からすれば、100キロマラソンとして広報拡大すれば支援されることも可能かと思えたけど、F原さんの思いとはなかなか同調しないようでした。
逆に、制限時間のゆるい(というよりはないに等しい)大会として、100キロマラソン完走の感動を味わいやすい大会として、地元からの魅力は高まるばかり。

「ボランティアすれば、次の大会からは優先的に出場できるんです」とは、かつてF原さんから言われた言葉。
100キロを走る辛さやしんどさを、「是非やりたい!」と感じる人が多いことは、今はまだ実感できません。

これから、その現実を経験する前の気持ちとして、あえて記しておきたいと思います。

2日後のボクの感情や、如何に???


情報共有用
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コースにはAコース(110キロ)とBコース(100キロ)があり、ボクはノーマルな(笑)100キロコース。
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今日も仕事が遅くなり、涼しいのに走れない・・・

4月に比べて、ボディの6キロ軽量化には成功したので、あとは潜在能力に期待するしかない・・・
8月まで、今年の通算走行距離は1200キロ程度。

チャリティランでは併走したり雑談する人には、ことごとく、100キロマラソン走ります、宣言。
下手にリタイアできないプレッシャーを自分にかける。

完走時間の目標は14H台。
できるかなぁ・・・


日本の東かなた海上を進む台風のおかげで、秋風が呼び寄せられる。
朝8時でも24℃くらいではなかったか。

早めに着いて、事前に1周。

参加ランナーは、多そうだ。
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今日は、主催者M松さん夫妻が不在のため、T中さんファミリーが中心で受付を。
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チビッコも参加。ランナー虎の穴養成機関からの刺客?(^^;
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次回とその次の回の開催日に変更があり、その説明に時間がとられ、9時5分スタートに。
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1周目は同世代だがボクよりは高速ランナーなO江さんと話ながら走ったので、ラップはかなり良い。5’35/キロくらい。

他にもえっつんさんやS野さんにも、来週の児島100キロマラソン参加を能動的に伝える。
これで、まったなしだ・・

エイドで振舞われたピオーネとイチジク。
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1周走ったあとは、こんな盛況(笑
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10キロで終わって、一旦帰宅。
自分でカレースパを作って食べて、12:30くらいにはイオンモール岡山までバイクで。

数日前にグリーンバードのGさんから伝えてもらった上映会「クワイ河に虹をかけた男」へ。
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ネタバレですが・・・

戦時中に通訳をしていた倉敷在住だった永瀬隆さん。
インパール作戦のために突貫工事で作られた泰緬鉄道では、強制労働で欧州の兵隊捕虜や貧しいアジア人への過酷な状況があったにもかかわらず、それについてはなんら弁明や償いの言葉もない日本政府。
現場で事実を見つめていた永瀬さんの、夫婦での償いのタイ訪問の日々。
もう、80歳を越えた人間の持つ強い意思と、いつ倒れてもおかしくない状況という、別の意味でのスリル。
引き込まれるストーリィ。
最後は、心ならずも泣けました。

過酷な労働を強いられた英国人に、手紙を通じて和解と謝罪を強く訴える永瀬氏。
一方で、そんな永瀬氏の姿を冷たく見つめる、元捕虜の英国人。

捕虜を人権的に正しく扱うことを忘れて、単なる労働力や、憎しみの対象として利用する、当時の日本軍。
その当時の状況からして、間違ってはいないと思う。
それが、戦争。
狂気は、正常。
戦後シベリアで失われた多くの日本人の命にも、謝罪の言葉はなかったと思うし、それを求める強いムーブメントもないと思う。

「国がやってくれないから、自分たちでやるしかない」という、肝臓病の永瀬氏の奥さんのラスト近くの言葉が胸を突く。
それが、あの戦時中の悲劇を見てしまった永瀬氏に与えられた「生かされる理由」なのか。
齢93歳まで生きて、タイとの往復に耐えられる体力を残してくれた神様の意思なのか。
告別式で、先立たれた奥さんの棺に顔を埋めて、カメラが回っているのはわかっているだろうに、何度もキスを続ける永瀬氏。
これだけの人への愛情を注げた人だからこそ、できたことかも。

いまさら日本政府の謝罪を求めても仕方がないのだが、やはり、戦争が呼ぶ悲劇は、当事者ばかりではなく、残された人々にも及ぶものであること。
起こってしまった事実には、人間として真摯に対応することがとても重要であること。
そんなことを考えた、あっという間の2時間でした。