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こだわるのもいいかげんにしないと。

帰宅して、たまたま夕食は大学生の娘と一緒になったけど、話していて態度の悪さにムカつくこと甚だしい。

きっと、もしも入院しても、家族のお見舞いは否定したくなるような気分。
こいつは他人だ、と言い張る。
でも、たぶん、もう少し年をとると、「ああ、この人は家族と他人の区別がつかないんだ」と、認知症みたいに思われるのだろう、ということに気づきました。

多くの悲しい認知症の人の中にも、こういう人はけっこういるのではないかと気の毒に思えてきました。


昨今の世相をみると、「ネットで墓参り」とかいうこともできるらしい。
実家を遠く離れて仕事している人がいる限り、当然の需要だ。

だからということでもないが、自分としては「骨を埋葬」ではなく「海に散骨」して欲しいと願う。
あの世にいってまで、参られて、ヤな人に会いたくない。
それを義務みたいに思われるのも心外だ。
遠くの海まで、船をチャーターするはずなので経費的には難しい面もあるかもしれない。

散骨は自分らしさを表現するための、ちょっとエコで誇らしい気分も含まれていると思うが、おそらく、そのうち、墓参りもできない人が増えて、墓地自体が不足してくると、散骨が法律で定められる可能性も否定できない。

こだわる意味は薄れてくるに違いない。
なんてこった。
by pmrider | 2012-07-19 00:23 | バラエティ | Comments(0)