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10年目

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「まもなく三宮に到着いたします。」
車内のアナウンスが、人声に消えそうになりながら響いた。
日曜日の朝11時頃。結局安田友昭は姫路からずっと座ることなく、混み合う車両の隅に立ち続けていた。しかし、それほどの疲労感はない。
ホームに降りて、そして少し道に戸惑いながら、陽光眩しい街へと歩み出した。10月の第三日曜日。秋らしい空気は、ふと友昭をセンチメンタルな気分にさせたが、とにかく、彼は目的地を目指して街の南へと歩いていった。
商店街は彼の住む地方都市とは違う賑わいを見せていた。
(あの時も、そうだったな)
友昭は10年前を思い出していた。

大学時代、2つ下に望月佐和子、という女性がいた。
同じサークルの先輩後輩の間柄であり、お互いに別の異性とつきあっていたのではあるが、大学を卒業後も、機会があれば数ヶ月ごとに出逢って食事くらいは一緒にしていた関係だった。
大阪の化粧品会社に勤務していた佐和子と,出張で大阪に来た友昭が久々に飲みにいった時、「神戸に遊びに行こう」と計画したのが、ちょうど10年前だった。
そしてその日、メリケンパークで待ち合わせて、月餅を買って,中華街の有名な店の前に並んで昼食をとり、北野を歩いた。
彼は半年後には結婚を控えており、彼女もまた、プロポーズされるのは時間の問題であることを,会話の中で確認していた。それでも、話をしていて大学以来の記憶を共有する彼女との時間は貴重なものだと彼は認識していた。
夕暮れの通りで、彼はある提案をした。
「10年後に、もう一度、会わないか」
あまりに唐突だったので、断られてもいい、と思っていたが、彼女は答えた。
「・・・・ふふっ,おもしろいわ。で、どこで、どうするの?」
「10年後の、今、つまり、10月。日曜日でないと難しいから、
第三日曜日。時刻は正午で、場所は、あの中華街の中央では、どうだい?」
「いいわ。でも・・・・その時は私もおばさんかもしれないなぁ。」
「大丈夫。その時はボクも釣り合いがとれているように努力するよ」
「・・そうね」
いままでも、意外性を持った彼の演出を喜んでくれていた佐和子だ。
彼女はそれに続けた。
「それまで、お互い、約束のことは口にしないこと。いい?電話で話しても、そのことは出さない。」
「いいよ。それでいこう」
それ以来、会話することはあっても、約束の件は、どちらも黙っていた。

昼12時前。
友昭は中華街の入り口をくぐり、足早に歩いていた。
まもなく十字に交差する場所にくる。そこには、スーツ姿の女性の後ろ姿があった。
声をかける前に、彼女の横顔が見えた。
そのとたん、彼ははっとして傍らの店へと身を隠した。
(たしかに、佐和子・・だよな・・・)
あの約束をかわすまでの数年、彼女はまるで高校生のようなしぐささえ見せていたのに、あの落ち着き様はどうだ。
彼女が予定していた結婚は破棄し、いまだに仕事に情熱を失っていないことは知っていたが、それでも、彼女の変わりようは、彼にはショックだった。
考えをまとめるために、彼は一旦引き返すことにした。
約束を律儀に守ってくれた彼女には感謝しながら、それでもそれに応える勇気のない自分にふがいない思いを感じながら。
入り口の「鳥居」で立ち止まって、タバコを出した。
深く吸い込んだ煙を2度ほど大きくはきだした時だった。
(おまえ、それで、いいのか?)
回りに誰もいないのを確認してから、彼はじっと前を見据えていた。
(聞こえないのか?彼女はどうするつもりだ)
「どうするって」
そこで慌てて口を押さえて、彼は頭の中でつぶやいた。
(まだ、決めていない)
(彼女は30分前から待っていたぞ。約束をどう思っている?)
(あんたは、だれだ)
(そんなことはどうでもいい。おまえには取るべき責任がある)
(・・・・そりゃ、そうだけど・・・でもなぁ、)
(わかった。おまえの言うこともわかる。いいか、よく聞けよ。
彼女との想い出を話してみろ。それで、状況は良くなるはずだ。)
(どういう意味だ?)
(とにかく、おまえも、このまま立ち去る勇気はあるまい。彼女を傷つけたくなかったら、言う通りにするんだな)
タバコを携帯灰皿に捨てたあと、彼は向こうを見つめた。人影に邪魔されながら、彼女の姿はそのままの場所にあるのがわかった。
もう1本のタバコを半分ほど吸い残して、彼は歩き始めた。

「よ、よお」
「あ・・」
化粧の濃い佐和子は、それでも昔通りの笑顔で友昭を迎えた。
「待ってたんだ」
「うん。・・友昭、変わらないね。前と」
「佐和子も変わらないよ。全然」
だいたいのお互いの今の仕事の状況とかは、わかっていた。
それには背を向けるつもりで「10年前、覚えてる?」友昭は切り出した。
「待ち合わせで会った場所の噴水。虹が見えてたんだよな。写真送ったから、覚えてるよね」
「うん」佐和子はまっすぐに友昭を見つめて言った。「覚えてる。通りかかったアベックがいて、ちょっと恥ずかしかった」
「え?そうだったっけ?」
「もう・・・これだから・・・」
佐和子の唇が、きらっと光ったように思えた。
「ごめん。で、とりあえずお昼だけど、前と同じ店だけど、行ってみる?」
「ええ。」
ヤキソバが売り物の中華料理店の前で以前と同じように、ふたりで椅子に座って待つことにした。
「ほら、あそこ、同じね、あの時と」
正面の店を指さして、佐和子は彼の記憶をしっかりとたぐり寄せているかのようだった。
追憶を呼び覚まされるたびに、彼には、彼女の変化がわかってきた。
それは徐々にではあるが、化粧が落ちて、肌の輝きがみずみずしくなってくるようだった。
やっと店に入って注文した時、佐和子は10年前のあの時よりもむしろ若くなったように見えた。まるで、・・・まるで、彼女と大学で初めて出逢った時のように。
10年どころか、それ以前の記憶をフラッシュバックするかのような会話のあと、2人は海岸に向かった。

「ここで、写真撮ったんだよな」
「・・・・・そうね。今思うと、ちょっと恥ずかしいけど」
本当にはにかんだような様子が、友昭には眩しく見えた。たしかに、可愛い。きらきら光る海をしばらく見つめて、彼は我慢できなくなって切り出した。

「実はね、」なかなか次が言えなかった。「さっき佐和子を見た時、・・・・」
「がっかりした?」佐和子はにこにこして答えた。「そうだよね。ワタシも、そう思うよ」
「え?」
「最初、友昭がこっちに来るのが見えたんだ。そして、引き返すのもね。そりゃそうだよね、随分変わっているもん」
「・・・・」
「でもね、なんだか、聞こえてきたの。頭の中で。それでも、こうやって会いに来てくれた彼を大事にしてやりなさい、って。そうすれば、ワタシも彼も、今日はきっとうまく行く、って」
「そうか・・・」
「こうやって、友昭と懐かしい話してると、気分だけじゃなくて、本当にタイムスリップしちゃうみたい。」
「そうだよな。いや、今だから言うが、佐和子、こうやって話してるだけで、キミの化粧が薄くなって若返ってるみたいなんだ。これはお世辞じゃなく。」
「・・・・そんな・・・」佐和子は後ろを向いて、コンパクトを出した。
そこにちらっと自分の姿が見えたとたん、友昭は彼女に叫んだ。
「ち、ちょっと、見せてくれないか」
彼女が若返っているのはわかるが、そのミラーに写った彼の顔もまた、大学時代のそれと同じだった。
「こ、これは・・・」
狼狽する彼に、彼女は静かな表情で話しかけた。
「10年後、よかったらまた、会ってくれない?」

    <完>

1999.10.12 release


by pmrider | 2018-01-12 22:07 | シリーズ「SB37] | Comments(0)