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亡き人への言葉

お盆に寄せて。で、このクソ暑い季節に、ちょっとゾゾっとする話を。(え?あんまりゾゾっとしない?)
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この7月8日に凶弾に倒れた安倍元総理について、これ幸いにと報道されている統一教会の話や森友問題とかをほじくりかえして、安倍元総理を悪く言う、少し年上の職員が職場にいました。
「もともと、あん人は悪い人じゃったんじゃ」
聞いていて、とても不快感がある。
親や友人や書物からも、「死んだ人のことを悪く言ってはいけません」と教えられていたから。
そして、それは人間、少なくとも日本人なら共通のコモンセンスだと思っていたから、なおさらに。
死者には、もう弁解や言い訳はできないので卑怯だという意見もある。
でも、そんな人が居るのなら仕方が無い。
親しい人や子供なら諭してやるが、ボクよりもっと年上の「分別ある大人」には、もう何をか言わんや。

でも、ネットで調べると、ボクのような人も居れば、いまどきの、例えば学校でいじめられていた人から見れば「いじめの加害者」が死ねば「嬉しい」気持ちの人もいる。
それを口に出すかどうかはまた違う問題で、告別式で棺桶に向かって大声で悪態をつくことは(愛憎ドラマを除けば)通常ではかなり珍しいことだと思う。
人は、告別式前後で、亡くなったひとのことを思い出して、褒める傾向がある。
これは経験則。
そしてそうあるべき。
なぜか。

以前の職場には、霊能力みたいな感受性があるせいで、普通の人には見えない白い影みたいなのがぼんやり町を歩いているのが見える人がいました。
こちらも巫女のようでもなく、ごく普通のクレバーな中年女性だ。
別に、その能力をひけらかしたり恐れさせるのでもなく。
告別式の部屋の天井近くに故人の姿がうっすら見える、とも言っていました。
つまり、死ぬとは「nothing」になるのではなく死後の世界で「reborn」するのではないか。
感性の鋭い人にしかわからないが、死者はマジックミラー越しのように、我々をいつでも観察できる。
そして我々の話をきくことができる。
でも、それに対してのリアクションはできない。
ただ、傍観するのみ。
(中には、ホラー映画のように、生者にちょっとしたイタズラができる死者もいるかもしれない)

だから、生きている自分たちが、死者のことをいつまでも忘れないで、懐かしい記憶を蘇らせて話をしていると、実の親のような死者は嬉しいに違いない。
いつか我々があの世に行って死者と再会したとき、「ありがとう」と言ってくれるかもしれないし、全然その話にならないかもしれない。
でも、そういう(想像の)死後の世界を、意識しないよりはした方がいいように思える。
困ったときに「あの人ならどうするかな」と空を仰ぐと解決策が思い浮かぶとか。
感情に任せて人の道を外れそうになるとき「あの人に見られているかも」と冷静になれるとか・・
第一、死ぬことの恐怖はこう考えることでかなり和らげられるのではないだろうか。

先に安倍元総理が行った世界に、安倍元総理の悪口を言っていた人が行ってしまうとき、「よくもべらべらと言いたいことを言ってくれたな」と先輩たるカレから罰を受けて、そのとき初めて自分の行為を後悔するだろうか。
では、告別式で故人を褒めちぎったからといって、いいことがあるわけでもないが、一人の死は家族や回りの人の悲しみと等価だ。それを少しでも緩めてあげることは人として当たり前のこと。

すべては仮説にすぎないが、これとは別に、臨終を迎える日が近づくと、その人の夢には自分の親とか親戚が夢に現れるという話もある。そして、それを見ると安心して最期を迎えられる、と。
その説の裏付けとなる学者の言葉。
ー京都大学こころの未来研究センター教授のカール・ベッカー氏ー
「先に亡くなった肉親らがお迎えに来るのだから死はまったく怖くない。それを知れば、残される人も『いずれ愛する人のところに行ける』と安心し、死に対する恐怖が減ります。肉体は死んでも、故人の意識は別の世界に行くのだという気持ちになれば、日本でしばしば起きる、遺族の後追い自殺などの悲劇もなくなるでしょう。病気と闘うのは良いが、死と闘おうとしても勝てません。少々の延命はできても決して死は直せないのだから」

by pmrider | 2022-08-06 14:12 | ぶつぶつ | Comments(0)