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今回は、思い切り重いです。すんません。

先日、半年ぶりくらいに電話した友人は、驚いたことにチャリ運転中での交通事故で入院中だという。
そして、悲しむべきことに、彼の奥さんの話では、仕事への復帰はかなり難しい、と。
今は病院で寝たきりだという彼は大学時代からの友人で、最近は年賀状と年3回くらいの電話でしか繋がりがないが、今も気軽に話のできる大切な友人の一人だ。
あまりの無情感に押しつぶされそうになる。

ヨメさんの親戚にもバイクで交通事故に遭った女性がいた。
結婚後、親戚だということでお見舞い方々ヨメさんと訪れた施設で、寝たきりで口もきけないの彼女はゆっくりと、思うように動かせない指だけでようやく我々に,しっかりとした言葉でお祝いのメッセージを手元のホワイトボードに記してくれた。ごく普通の人としての意識があるのに、身体が動かせなかったり、言いたいことを自由に言えない苦しさはいかばかりかと心痛に耐えがたかった。
その彼女の元気な姿は見たことがなく、「事故の前までは、まったく健康な,普通の女性だった」と言われても、なかなかそのイメージは浮かばない。

この不遇な2人は事故に遭った境遇が違う。一人は家庭と子供を持ち,もう一人は独身だった。
人間として、後に残すものがあるのがせめてもの幸福か、一人身であったのが、かえって幸運かは、わからない。
でも、そんな様子を目の当たりにした人間は、少なくとも事故への実感はそれ以前よりもはるかに厳しく感じるはず。
毎度発表される事故死者の数の多さよりも、たとえ命が助かっていてもその周りや本人の悲しみがいかに深いものかを,向こう見ずで自分勝手な世の人々に知らせることはできないものだろうか。
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イタリアのモーターファンはシューマッハを心から祝福するのだろう。
人間的でない、とかいう彼への批判はあるが、フェラーリへの移籍当時は、なぜ、トータルなマシン性能が劣るチームへ行くのか、不可解な部分があった。
いくらフェラーリに特別な魅力があったとしても、有能なドライバーは勝つ(勝てるチームで走る)ことで名声や金を得ようとするものだし、セナなどは、その典型だったように思う。
「ドライバーチャンピオンを獲得する」と宣言し、その困難な目標をクリアしたシューマッハには、仕事をする人間としては最大級の賛辞を与えないではいられない。

レースの面白味という点では、2輪と4輪でどちらに軍配があがるかは個人差がかなりあるように思う。また、開催される年のマシンの内容によっても。
マシンの差という要素で、ドライバーの腕とは別の要素もあるから。(ただし、今回の鈴鹿はドライバーの天候へのびびり具合(=テクニック)が逆転の要素だったが)
普通の気象条件ではなく、例えば高温や雨になれば、それに秀でた(というよりは無謀な、というべきか)才能がかなり重要なファクターとなる。
雨のヘアピンでのブレーキングでは、スズキのケビン・シュワンツを超えるテクニックをもつライダーは見たことがない。
デビュー当時のアレジほど、コンクリートウォールを怖がらずにセナを差す勇気を持ったドライバーは見たことがない。
一度、すべてのF1・GPマシンを単一メーカとチームにしてみれば、それに勝ったドライバーやライダー自身の勝利の価値は,今よりも比べモノにならないほど大きくなるのではないか。



「父親は、できる限り仕事を切り上げて帰宅し、家族と一緒の食事をとるべし」
といった風潮があったと思う。それで家族の絆が深まり、ひいては非行の芽を摘むことになる、と。でも、本当にそうだろうか。
一緒に食事をとるたびに親としてのこちらの口をついて出るのは、
「ちゃんとして食事をとりなさい」
といったタグイの小言ばかり。もちろん、学校での話も聞くには聞くが。
いいたくはないが、昔自分が、自分の親に言われてきたように、最低限の「マナー」は貪欲に彼らに要求する。
「こぼすな、残すな、よそ見をするな。」
そういうことをコンビネーションで言われる彼らはさぞかし不味いメシとなって、余計にぐずぐずする、悪循環。
好きなメニューの時は思い切り「おいしい!」と叫んではいるが、そうでもない時はどんな気持で食欲を満たしているのか、不憫ではある。
平気でこぼして服を汚しても「大丈夫ですよ~ん」と説明する洗剤のCMがいくつかあるが、初めは嫌悪する気分で、今は、それでも受け入れないといけないのか、という気持。
しつけのいい子供というのは、遺伝的にそういう子供以外は,そういう小言にじっと耐えることのできる資質を備えているかと,可哀想にもなる。
いっそ、何もいわないままにして、ある程度オフィシャルな場で思い切り恥をかくのもいいかもしれないが、最近では、同じようにマナーの悪い仲間が増えていて、効果がないようにも思える。
しかし、いつか彼らがちゃんとしたマナーを身につけられた時、こちらが
逆襲される予感も、しないではない。


思い出の味・・といっても最近はあまり味わう機会のないものですが、それは「シェイク」ですね。えっと、よーするに「マックシェイク」とかの、アレですね。(^^;)
高校の時に「写真撮らせて」と誘った同級生のコ(もちろん♀)と、1日一緒に後楽園とかまわって、帰りに、その頃天満屋バスステーションにできたばかりの「ロッテリア」で一緒に注文した「ロッテシェイク」だったか。
「初恋の味」とまではいきませんでしたが(その相手のコは、けっこう遊んでたコだった)なんせ、学生にとってはそのシチュエイションも含めて、極めて新鮮なカンドーがあったと思います。(その時まだ岡山にはマックはなかった)
それと、社会人になってから、まだ栄町にマックがあった頃、(今はミスドになってるけど)彼女と立ち寄ってその頃限定発売だった「バナナチョコシェイク」を注文しました。これって知ってる人いるでしょうが、バナナ味シェイクに液体状のチョコがついてくるんです。シェイクは冷たいから、チョコを流して溶かすと、だんだん固まって中でカチカチになるワケです。これはかなり美味でした。その彼女ともいつしか別れてしまったけれど、彼女がいたからこそあの味を知ったと思えばその悲しみも慰められるってもんでしたね。



先日、知り合いの人からニッカの「スーパーニッカ」をもらって、「らっき~」って喜んで飲んだのですが、昔飲んだ頃に比べて、それほど美味しいと思わない。
そういえば、大学生の頃は「ホワイト」は問題外として、「ブラックニッカ」は何のためらいもなく愛飲してました。(金がなかったらレッドとか)それが、今となっては、「よく、こんなの飲んでいたな」と感じることには、やはり寂しさを感じました。
酒以外でも、学生の頃毎日のように夕食に通っていた中華料理屋で、美味しいな、とか思っていた味を、今社会人になって数年たって店で食べてみると、上と同じような有り様でがっかり、ということもありました。
今はもっぱら酒は「ハーパー」とか「ターキー」とかのバーボン系なので舌が違うのは仕方がないことかもしれないけど、ああいう安酒を6畳の部屋でコタツにはいって友人達と飲んで騒いでいた日々に、ときおりジェラシーを感じるのはボクだけでしょうか・



一度、カクテルの雑誌で見て、飲みたい、って思ったのが「ギブソン」でした。
これは、よーするに、「マティーニ」にはいってるオリーブがパールオニオン(タマネギか?)に変わっただけのもの。(でも見た目はツルンとしたラッキョそっくり)
行き付けの店で「できない」と言われたので「なんとかして」と頼んでみたら、数日後にはパールオニオンを調達してくれてました。
それ以来、店に行くと「ギブソン頼むのは××クンしかおらんのじゃけ、飲んでよ」とキョーハクされることしばし。わざわざアメリカの業者に頼んでパールオニオンがカンズメ1缶あるらしい。
味はといえば、あくまで「原料」は一緒ですからマティーニにかわりはないけど、めったに他の人が飲まないカクテル、と思えばまた味わい深いというもの。
初めての店で「ギブソンもできないのを?モグリぢゃない?」とかバーテンをからかうのも一つかと思います。(ヒネテンナーー)



バーボンを「美味しい」と感じ始めてから、しばらくは「IWハーパー」とか「オールドフォレスター」とか「ワイルドターキー」がお気に入りだった。
そんなある日、大学のサークルの後輩が東京から遊びにくる、という。
3年年下の彼とは大学時代、下宿でよく酒を飲んでいたもので、映画の好きな彼は多少サークルの部員からは「変人扱い」されてはいたが頭脳は明晰であり、酒を飲む場ではボクと不思議とウマがあったものだった。
その当日、彼は「1泊の恩義に」と「酒を持ってきました」と言う。
その前の電話で、ボクの酒の好みはなんとなく伝えてはいたのだが、彼自身はバーボンには興味がなかったせいで、「寮の先輩に薦められて」と取り出したのが、「JIMーBEAM」の白いラベル。こんなの知らない。
「これなら、間違いない、とセンパイに言われて持ってきました」とにこにこしながら言う彼の気持とうらはらに、ボクは少しがっかりしましたっけ。
今思えば、そのブランドは相当有名であり、失望したボクの方が恥ずかしいと思うべきだったのだが。

その後、自分の舌を信じれば「ニセ酒」と思えるウイスキーに何度となく出会って、いつしか購入を躊躇していたそのタグイのウイスキーをおそるおそる確かめているうち、たどり着いたのは、その「JIMーBEAM」。
幾度か購入するうちにそのロゴの入ったロックグラスやタンブラーや、今も愛用している本皮製の携帯ストラップを手に入れた。

おそらく、これからも愛飲していくであろう,そのバーボンを口に含むたびに、あの時の彼の気持を少しでも埋め合わせできるだろうか、と後悔の念に時折かられてしまう。






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「学校の夏休み開始」「連休」「海の日の祝日」といったプラスの要素があったにせよ、所詮は「梅雨明け前」なので、20~21日は人出はいまいちでした。
しかも、21日は朝は雨で、降水確率もレジャーには全然好ましくない。
この日の朝は、「まさか店はやらないだろう」と予想して二度寝にはいりかけたところ、ヨメさん(に指示された娘)にタタキ起こされて(笑)行きました。
結局、午後からはまあまあな数のお客さんはきてくれたんですけど。

店のやり方はほとんど去年と変わりはないのですが、店の「まかない」でくれたタコヤキは、文句なく昨年より
「美味い!」。
義父の話によれば、小麦粉を変えてみたそうで、この味には、(できたての試食結果にせよ)、はばかることなく次々と楊枝をタコヤキに刺して口に運んで行ったのでした。
いままでは、「あータコヤキだな」という程度の感想だったのですが。
去年と同じく、タコヤキは小学生の娘が作っていましたが、その贔屓目はありません。

ボクの持ち場といえば、今年もやはりかき氷がメイン。
売り物ではないけれど、ちょっと一息つきたい時に、店のオーナーの一人のおじさんが作っていた「氷オニギリ」をまねて作ると、とても美味しい。要するに、かき氷で残った氷をオニギリみたいに固めて(雪合戦の玉の小さ目)それに好きなシロップをかけるだけ。中心から、まるでラピュタの飛行石(を含んだ石)を叩いた時のように色が広がる。それを、オニギリのように囓る。きっと手ずから口に運ぶから、美味しいのかも。これは、なかなか家庭で作るかき氷ではできない。(と思う)

子供連れの親子(または祖母と孫)が店の前に来るたびに感じていたのは、やはり子供(それもなるべく小さい年齢)をターゲットにすれば、「海に来た、という非日常性」も相まって、「購入機会」の確率が高まる。
「子供が欲しがるから」とか「せっかく遊びに来ているのだから、うるさく言うのはやめよう」。
そんな要素を利用(悪く言えば)できればよいのだが。
もちろん、その期待に味や愛想で応えることにはやぶさかではありません。


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「本業」の仕事の合間に手伝っている海の家の手伝いに、その日はどうしても抜けられない仕事が入って、ボクがなんとか駆けつけたのは夕方の4時を回っていた。
海水浴客もちらほら数えられる程度しかいなかったが、店のオーナー(つまり義父だが)からは「タコ焼き」の持ち場にいるよう命ぜられた。
既に焼き上がった商品の出具合を見て、新たに作るかどうか、判断を必要とされる。売れ残りをなるべく出さないよう、それでいてせっかく来た客を待たせないよう、一日のピーク時よりも、別の意味で難しい判断を要求される。
そして、新たな注文は、往々にしていきなりやってくるものだ。
「おっちゃーん」
ふいに、声がした。しかし声の主は子供らしく、タコ焼きの売場の台に邪魔されて、姿は見えない。その後ろから、小学校高学年と思われるほっそらした女の子が近づいてきた。日焼けしたばかりらしく赤い顔をして、濡れた髪をなでつけただけに見えた。
「ほら、ちゃんとおっちゃんに言わんとあかんやん」
(おっちゃん・・でも、まだオレは30代前半なんだぞ・・)とこだわりたくなる気持ちは捨てて、ボクは笑顔で「タコ焼きかい?いくついるの?」と問いかけた。
「すぐできるん?」
「ああ、すぐできるけど・・・」すぐに売れる在庫はあったが、少し冷めているように思えた。
「ちょっとだけ待ってくれたら、焼きたてを作ってあげる。待てる?」
「うん。かめへん。焼いてー」
すぐに支度にかかった。といっても、材料の小麦粉を溶いたものは余分にあったし、鉄板の余熱も十分だった。
なぜか、そういう時には、客とは多くの雑談を交わしつつ作るのが常である。
女の子ー名前は、みさと、だと教えてくれたーは大阪から帰省した母親に連れられてここに来たらしい。ガッコに、野球の上手い男子がおんねん、おっちゃんはタイガース好きか?などといった話をしながら、みさとは、やっと姿の見えた弟(たしか、マサハル、と言った)が店の飾りのタコの風船をいじっているのを制しながら、一変した表情でつぶやいた。
「もう、マサとも、一緒に住めんようになるかもしれんのや」
「どうして?」少しずつタコ焼きをひっくり返しながら尋ねた。
「おとーちゃん、最近帰ってけーへんし、おかーちゃん、初めは怒ってたけど、今はなんも言わへん」
「それで?」
「・・・んーとな、なんか、[リコン]って聞こえたんや、こっちに帰ってきてから、おかーちゃんがおばーちゃんと話してて・・」
だいたいの状況はわかった。しかし、迂闊なことで彼女を惑わすことも罪に思えて、それ以上は尋ねなかった。それよりも、ボクはタコ焼きが焼けすぎないように注意して最後の「整形」にかかっていなければならなかった。
みさとも、出来上がる前のソースの匂いのせいか、視線はトレイの上に注がれていた。
「ほら、できたよ。焼きたてだから気をつけてな。」
「おおきに、おっちゃん」
「自慢じゃないが、大阪のよりも美味しいぜ。きっと。海で食べるタコ焼きはおいしいんだぜ」
おおよそどこの子供でもするのと同じように、みさとはにっこりと笑いながら受け取った。
「おっちゃんな、」自分で抵抗があるくせに、そういう出だしでみさとに声をかけた。「いつでもここで手伝いしてるんだ。また、来いよ。来年も、こっちに帰ってくれば、いつでもタコ焼き作って待ってるからさ」
「うん。」
二人前を両手に持って、みさとは弟を従えて向こうへ歩いて行った。

翌年、彼女らを見かけることはなかったが、姉弟で食べたあのタコ焼きが彼らの楽しい夏の海の記憶の一部に刻まれていることをボクは願わずにいられなかった・・。


<話の舞台について>

もうすぐ、というか、この気候からすれば、梅雨明けが近く、夏はすぐそこ。
外に出歩くと、紫外線が皮膚ガンの元凶なので注意が必要、とは言っても、クーラー付の部屋で夏の間をずっと過ごすことの方が、ずっと不健康だし、経済的負担もバカにならない。
そこで、お勧めの避暑地は、ここ、「出崎海水浴場」。
岡山市内からなら、車で40分ほど。他の海水浴場と比べても、距離的には近い部類に属する。
暑い日になりそうな時、「よし!海に行ってみよう!」と思い立って行ける、また、帰りもそれほどの渋滞は覚悟しないで済む。
料金については、ここの「DESAKI BEACH」のコーナーにもあるけど、例えば大人2人と小学生以下のお子様2名なら、1300円が最低必要。でも、これでも、映画館で見る大人一人分のチケットよりも安い。
おそらく、便利なのは、「駐車場から海辺までの距離が短い」こと。
最近は、お弁当や飲み物は持参が当たり前。さらに、浮き輪代わりのシャチ君とか、給水器を運ぶのは大変な労力。ここならば、おそらく、午前の早いうちに来れば、浜までの距離は50mもないはず。
正直言って、波打ち際が美しい、とは言えないし、「どこまでも続く海岸線」もないし、はるかかなたに伝説の語られる岬もない。でも、家族連れの方にとっては「子供がどこに行ったか見張れる広さ」というメリットはある。
「海の美しさ」というよりも「海の楽しさ」を味わうには、小さいお子さんを連れた方には適した場所だと言えるだろう。


ツーリングレポートではありませんが、いろいろ勉強になることがありましたので、なにかの参考になればと思います。

昼2時。岡山駅で新幹線を待つ時点から、かなりの暑さ。
それでも、新幹線では隣りに涼しげなワンピースの若い女性が座り、ちょっともうけた気分。新大阪駅出口案内所で,伊丹行きリムジンバスの乗り場を確認。行ってみると、発車寸前で、慌ててキップを買って乗り込む。
予定よりは早いペースだが、飛行機に間に合わないよりはマシ。
渋滞はあったが、予定通り25分で伊丹空港に到着。さすが。
ここでは自動チェックイン機が使えるので、座席を画面で操作したが、禁煙席の、「窓側」と「通路側」しか選択できない。
そっかー、もう喫煙席は埋まっているのかーとか思いながらも納得できないで、案内の女性に訊ねてしまいました。
「もう、喫煙席って、いっぱいなんですよね」
「申し訳ありません、お客様、現在、国内線はすべて禁煙となっております・・・」
がびーん。そういわれれば、そんなことも聞いたことあったっけ。
とんだ失態。よく眺めてみれば、喫煙できる場所も限られているようだ。
さらに、ここまで来るまで悩んでいたこと。
「DATやMOは、持ち物検査のX線でぱぁになるのか?」
手荷物預かりのおねーさんは「はっきりわからないのですが,実際に検査している所できいてみてはどうですか」とのこと。
機内に持ち込まなければ問題はないのだけど、いい機会なので、早速検査入り口の係員に訊いてみた。でも、彼も、はっきりとはわからない、と答えた。どうしても心配なら、通る時にその旨を説明したらどうですか、と。
では、そうしてみよう、と思って検査所へ。DATやMOを検査から外してもらったのはいいが、ゲートを通ると、ブザーが。
たぶん、PHSかサイフか、ジッポが反応したのだろう。それを外すと、検査はOK。
搭乗口の前でしばらくタバコを我慢して待っていたが、側に喫煙コーナーがあったのに気づかなかった。残念。
17:10,出発。
「JASはくもり空わって」、高度8000m(?)くらいの高度へ。
大阪からの離陸は2度目だが、真下に家がたくさん見えるので、「もし落ちたら・・」と思うと、やはりちょっと気持悪い。
座席の前方には小型TVで高度や速度がリアルタイムで表示されているので、わかりやすい。
新潟近くは水田がきちんとした区割りでどこまでも広がっている。
「米どころ」と言われるのは実感としてわかる。
新潟空港は、着陸寸前に川を横切るせいか、川に落ちてしまうような錯覚がある。
空港のロビーから一歩外に出ると、夕方なのに(18時半くらい)ものすごい蒸し暑さ。(あとできくと、最高気温38度だった?)
それでもバスの路線がわからないので、乗り場で経路を丹念に見る。
結論として、予約を入れてもらっていたホテルと、信濃川を跨って反対側にある新潟駅までいくしかないのがわかる。
とりあえず350円均一の駅行き急行バスに乗り込む。
運転手に、ホテルの場所を通るかどうか訊いてみたが、通らないという。
その代わり、乗り換えのバスターミナルの場所で「ここで降りたらいい」と教えてもらう。
ちょうどダイエーのそばで降りて、さらにその裏まで歩いていくと、さびれた様子のバスターミナル、というよりは「バス乗り場」があった。
前もって、YAHOOのマピオンで見た感覚では、目的の「古町」という場所は、万代橋を渡ればすぐのように思えた。売店のおばちゃんにきくと、

「ほんのバス停2つなんだけどね。歩けば20分くらいかな?」
という答え。決まった。ボクは、初めて訪れる場所では、なるべく街を歩くことにしている。暑いのは気になるが、万代橋を歩いて渡ってみることは予定に折り込み済みだし。
まだ背広は着たままで歩いていくと、橋から見える河川敷は、散歩に絶好なように整備されている。川はなめらかな水面で、流れているようには思えないほど穏やかだ。歩くほどに汗は吹き出す。長い橋ではあったが、それと発汗の苦痛とは別だ。ボクの自宅のそばの旭川の橋はかなり河口に近いが、そこを渡るよりも、2倍はある。もしかしたら3倍あるかもしれないが。こんなに広い川を渡ることで、ここまで来た価値を感じる。
それよりも、この暑さだ。
街は繁華街となり、茶髪にガングロねーちゃんが目立つ。予想外に、新潟を都会に思う。(笑)とうとう背広は手に抱え、ハンカチではなくタオルにかえてしまった頃、道は狭くなってくる。これは、どうみても変だ。
かといって歩みを止める気になれない。とにかく早く冷房のきいた部屋で落ち着きたかった。と、目に入ったのが、「ローソン」。
申し訳ないが、涼むついでに、マピオンのハードコピーをカバンから出して位置をチェック。まずい。完全に行きすぎている。
一つ違う筋であったことを確認し、さらに行軍は続く。もう30分以上は歩いている。カラータイマーがあったなら、音はもう耐えられないほどの響きで頭の中を駆けめぐっていただろう。
ついに・・・ホテルめっけ。10階建ての大きいビル。
チェックインを済ませて、部屋で見た自分の姿は,ワイシャツの上半分を濡らしてしまって,やつれている。

それでも、とにかく夕食だ。
あまり予算もないので、定食屋を探す。ついでに、酒屋か、酒を扱っているコンビニも。しかし、9時前にもかかわらず、あまりぱっとした店はない。
暑いから、あまり足は伸ばしたくない。
そのうちにわかった、選択肢。
ちょうどやっていた、「マックのハンバーガー半額」か、高そうな寿司屋。
適当なレベルよりかなり低くするか、高くするか。
例えば、ラーメン屋で普通のラーメンがなくて、倍の値段の「特製ラーメン」にするか、ギョーザだけにするか。
子持ちボンビーマンと、20代独身とは、おそらくここで完全に選択が違うはず。
そう、ボクが選んだのは「あのーすいません、ハンバーガー3つ」。

さらにもう閉店支度の酒屋で発泡酒を買って、さらにローソンでお茶とサラダ。サラダの箸をもらうの、忘れた。
部屋ではサラダは「犬食い」。仕方がないと諦めたが、それほど空腹感は感じない。
空調はちゃんと効いてくれたのがせめてもの救い。

翌日。
7時過ぎに迎えの地元の人が来てくれるので、それまでにチェックアウト。
ボクよりもずっと年上と思われるK氏の車で、佐渡汽船の乗り場へ。
8時発の便の往復切符を買う。前もって調べていた値段よりも安い。
9000円弱。あとできいたのだが、朝のいくつかの便については、安い料金だという。
しかしここのインターネットのHPでは10000円ちょっとの通常料金しか掲載していない。
急いでモーニングを食べてから、ジェットフォイルに乗船。
ここも航空機と同様、シートベルト着用で全面禁煙。K氏によると、イルカやクジラにぶつかることがあるらしい。K氏も一度遭遇した、ときいて、おとなしくしておくことにする。
宣伝では時速80Km、とあるが、室内の表示速度パネルでみれば、巡行速度は70kmくらいのようだ。揺れは少ない。所要時間は1時間。
両津港に着き、みやげもの屋が並ぶ通路を歩く。ここだけは、ギンギンに冷房がきいている。朱鷺のポスターも、やはりふんだんに(笑)吊してある。そして歩いて10分ほどの市役所で、いよいよ仕事だ。

(仕事内容についてはうざったいので省略)

昼休み。
K氏が、ここに来る時に楽しみだ、というステーキ屋へ。
「佐渡牛」というブランドがあるらしい。昼飯にしては高価なので躊躇したが「経費で落とすよ」というK氏の言葉についふらふら。(笑)
3500円で200gのステーキなら安い。
しかし、失敗だったのは、焼き具合を「レア」にしたこと。
柔らかいが、「凄い」というほどでもない。中身はむしろ普通の柔らかさ。
「どうです。美味しいでしょ~」とえびす顔のK氏には、つい偽りの愛想をしてしまった。付け合わせのモヤシとタマネギも、塩胡椒がききすぎ。
K氏はミディアムだったので、肉の具合はちょうどいいのだろう。
店の主人(おそらくシェフ、ではない)もそこいらの食堂の店主みたいだし。
ま、満腹になったから、いいっか。

さらにもう一仕事して、4時半のジェットフォイルで帰途へ。
こんどは行きと違って2階席だ。なめらかな走りに、飛行機なのか船なのか、どちらともいえない感覚。
これで曇り空でなかったら、さぞかし仕事で来たことを恨めしく思うのだろうが。
新潟に着いたあと、K氏の車で、新潟空港まで送ってもらう。
帰り、という安心感で、酒の話題となる。
K氏によれば、新潟の人は「越の寒梅」は好みではないらしい。
ベスト1は「〆張鶴」(漢字、曖昧。しめはりつる)で、2が「久保田」のうち万、とか千、とかいう「格付け」のあるものらしい。
あとは「八海山」とか。
空港ターミナルに着いて,K氏と別れて、早速それらの酒を探そうとして、つい忘れてしまった。

搭乗ゲート前で待つ間、つい目にはいったのが「コシヒカリアイス」。
結局、コーンタイプのアイスの中にツブツブが入っていて、これが米だという。あまり甘くなくて、美味しかった。これでちょっとは食事になるのかな(笑)

夕暮れの新潟をあとに、JASは一路大阪へ。到着は20時。
機内でビデオを流す、と放送があり、ほんの45分で何を放映するのかと思ったら、夏休みということなのか(客に子供もいたし),「忍たま忍太郎」でした(笑)。こりゃーまいったなー、と思っていたら、最後は坂田信宏のゴルフレッスンだったようです。
名古屋あたりの夜景もよく見えたし、着陸前は機内の照明も落とすので、眼下の光はよけい鮮明に見えます。

天気は曇りで、空には星はない。
その代わり、窓の下にはまばゆい銀河がいくつも見える。
これで、空気のキレイな場所だったら、空も、地上も、みんな星が輝いて、まるで宇宙空間のような錯覚を覚えるのでしょうか。
一人だけでじっと見ているには、なんだか勿体ない時間・・。

伊丹から新大阪へ、そして新幹線に乗って,座ってタバコの煙を吐き出して、家で待っているであろう子供のことがやっと考えられるようになりました。

(完)


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VOL 1:地平線への憧れ


1988年の秋に、愛車VFR400Rを駆り、岡山を発って北海道を走った時のことをお話します。

 社会人は時間がないので、日航の「スケッチブック・ツアー」※1というのを使いました。大阪空港までは高速で、そこからバイクと同じジェットに乗って、千歳空港まで。この時、バイクの燃料を抜いたり、千歳ではさらにバッテリーのコードを自分で繋ぎもどしたり、女の子ではちょっととまどうだろうな、という作業も必要でしたが、やはり、着いたと同時に走り始められるのは、よかったですね。


留萌に最初は泊まって、初めて水平線に沈む夕日を見れました。それはよかったんですが、泊まったユースは、宿泊客はボクともう一人だけ。10時頃になって飛び入りでもう一人が泊まりにきましたが、なんとも寂しいスタートでした。夕食後しばらくして「とうきび」(とうもろこしのこと、ね)をゆがしたのをもらいました。
「ウチの畑でとれたばっかし」というだけあって、甘くておいしかった。9月中旬の北海道というのに、結構むし暑い夜でした。
岡山から大阪と、千歳からユースまで、386Km走破。

 僕が一番いきたかったのは、次の日の、日本海側をずううっと北上する国道、それに「道道909号」。ほんっっとに、焦ってとばすのがアホらしいくらいのまっすぐな、そして、僕らだけ(その時はユースで知り合ったにいちゃんと一緒でした)が存在する道。もうすこし早い時期ならば、原生花園に花が咲いていた筈でしたがそこを抜けると、利尻島を海の向こうに見ながら、地平線を目指してバニシングポイント しそうになりました。
但し、ここで記念写真を撮ろうとすると、なぜか羽根アリみたいな虫がまぶれついてきて、とても雰囲気を味わう余裕はありませんでしたね。
舗装も、予想したよりも良く、(ダートもあったけど)この日は宗谷岬を通って、450kmくらいもかせいでしまいました。たとえば、目的地まで看板で、あと120km、とあると、60km/Hで走っていれば、確実に2時間でそこに着けるとこが北海道の実感でした。
 稚内のドーム型の防波堤は、写真を撮るのに絶好のLOCATIONでした。ヘタな「岬のカンバン」を撮るよりは、よっぽどおもしろい。


※1 「スケッチブック・ツアー」
北海道までの航空券+バイクの航送代+ホテル代(何泊かで料金は変動)の、一種のパック・ツアー。ボクの場合、約12万円かかりました。多分、航空券としては高いけど、バイクを手荷物として運ぶのを別料金とするよりは安上がりなはず。パレットにバイクを乗せて運ぶため、一便に5台が限界だったはずなので予約は必須。
必ず1泊を指定のホテルでとることを条件とされる(別に、行程中すべてホテル予約もできるが、そうするとずっと予算が高いものになってしまう)が、ボクの場合1泊だけにしたけどホテルオークラOR東急イン。高いかもしれないけど、「北海道に着いてすぐ走れる」という効率を考えると、それほど忌避するものでもないと思います。
  いまでも、あるのかな?????


VOL 2:ウニ丼と雨


 今回は、ウニどんぶりと雨について。
 宗谷岬で丁度お昼となり、前泊のユースから同行したVTZ君と、ウニどんぶりというものを食ってみよう、ときまり、何となくキタナイ店でしたが、バイクの沢山集まっているとこに入りました。で、中で注文しようとして、ドッキリ。流石にウニだけあって、最低で1500円でした。(予想よりも高いように思えた)まあ、いいや、とおばちゃんに頼むと、出てきたのは、ただ、どんぶりにメシをいれて、どばあーっとウニをのせただけの、野趣豊かといえば聞こえはいいが、ようするに、「ウニがようけのったメシ」でした。味も、予想よりもあまりよくなく、すこしがっかりでした。それでも、VTZ君は、「うん!こりゃ美味い!」を連発してました。(彼は練馬出身でした)よくみると、店の壁という壁には、いろんなとこから来たと思われるライダー達のメッセージが、すべて模造紙にかかれていて、いわく、「これはうまい」や「九州から来たかいがあった」などの讃辞にあふれていました。で、VTZ君にも誘われ、僕も、いやいやながら、「香大生は絶対ウニ丼をくうべし」などと書いてしまいました。僕が、あまり、ウニなんてたくさん食べたことないからかもしれないけど。
ちなみに、ここでVTZ君とは別れたのですが、それから数年たっても毎年年賀ハガキを彼からもらっていました。

  旭川でもう一度ユースに泊まりましたが、ユースの入口はずいぶん暗くて、「こら、困ったな」と思ってよくみると「裏の××旅館のフロントにきてください」と書いてあって、旅館の一室がユースとして割り当てられているというヒサンなとこに泊まりました。
それでも寝る前になって、同室の3人とビール飲みながらいろいろと北海道のコースのことなど話しているのは、とても楽しかったですね。

次の日、層雲峡から屈斜路湖へ向かう途中、かなり非道い雨にあいました。一応、うちの健康組合の施設を予約していましたが、幸い日程も比較的ゆるい日だったので、(270kmくらい)ラーメン食べたり、途中の和琴半島というとこにあった、そこらへんにある池のような露天風呂で手をあっためたり、慎重に走りました。
カッパを着ていると、食事とか休憩で店にはいるのが、非常に億劫になります。
ボックス席があって、注意して座席を濡らせないようにしないといけないし。
しかし、やはり本土とちがうのか、トラックのはねる水の量が多い。何度も、頭からドロ水をかけられた気がします。9月というのに、雨となれば、ここらの11月くらいに相当する気温なのではないでしょうか。
また、霧もかなり深いところ(視界200mぐらい)があり、摩周湖や美幌峠はカーブで緊張しました。

  この日に川湯温泉の宿は一人で泊まり、やっぱ、ユースはきたないけど、仲間がおって楽しい、と再認識しました。宿の温泉は塩分が含まれているので、風呂からあがる前に普通のお湯で体を流さなければなりません。


VOL 3:知床GSXと釧路ジェイアラー


屈斜路湖をあとにして、網走の南をかすめて、知床半島に向かう。すこし道の荒れた所で二人乗りの「フュージョン」とすれちがう。あれっ、と思ってよく見ると、3日前、千歳空港で僕と同じように飛行機でツーリングにきたおじさんライダー。
まるで、今ここの地を走っているのは、実は同じツーリングメンバーで、たまたま北海道のあちこちを好きなように走っているのではないか、という錯覚にとらわれた。ウトロの町のあたりで、カーブが多くなる。道端に目をやれば、「ピースサイン禁止」の立て札。その思惑とはうらはらに、なんだか嬉しくなる。それだけ、挨拶してくれる人が多いってことだから。
空は、といえば、あまり機嫌がよくない。知床のドライブウェイにはいって、中程に逆方向から来たと思われる2台のバイクが止まっていた。その1台の方のGSXのそばに近づき、羅臼の方の天気を尋ねました。
「向こうは晴れてたよ。それより、これから僕らは、[乙女の涙]、という滝が近くにあるので見にいくけど、一緒にどう?」
全然見もしらぬ僕が誘われたのが嬉しくて、ついていくことにした。5分ほど歩いて着いた滝は、防護用の柵をこえていけばまるで絵ハガキのように美しく、この2人連れに感謝しました。
開陽台で地平線を見て、「ハイジーの家」で休憩。ここらの直線の道は人工衛星からも見えるそうだ、というのを人からきいたことがある。国後島を左手に見ながら、すこしハードに走り、根室では花咲ガニを買って家に送った。根室半島までの往復の道はとてもきれいでした。
風蓮湖で鶴を見ていた赤羽(東京)のCBXの女の子とちょっと話した後は、2時間の道のりをただただとばし、6時半ごろ、釧路のユースの夕食にようやく間にあった。ここではペンションみたいな食事と、1杯だけだったけどワインももらい、満足した。他の宿泊客は首都圏からの人ばかりだったけど、どうして、ああいう人達は集まると電車の駅の話ばかりしてるんだろう。

明けて、朝食の時。その日の予定は、襟裳岬を通って室蘭までだったが、たまたまテーブルの横に座った、ちょっと三田寛子に似たジェイアラー(JRを使って旅行する人々。女の子に多い)が、あまりに、オンネトーを「いいよ、いいよ」と勧めるので、ついに負けて、室蘭を通る予定を変更した。オンネトーとは阿寒湖の近くの、水の色がきれいだという湖である。釧路湿原国立公園を見ていこうとダート道を行くと、札幌ナンバーのバイク2台と会い、その1台が僕の前を走っていてコケて、起こすのを手伝ったのがきっかけで、結局、オンネトーから帯広まで一緒になりました。
オンネトーは、あまり天気がよくなかったせいもあって、いまいち。それでも、そのおかげで富良野の、かなりきれいなユース(富良野ホワイト)に泊まることができた。夜の自由時間にはビデオで「スタンド・バイ・ミー」も観ることができました。
前田真三の写真がここで撮られたことを初めて知って驚き、次の日はインパルスに乗ったユースの宿泊客の人と「メルヘンの木」などを見てまわり、ダートをいやというほど体験しました。と同時にバイクでここに来れて、ほんとによかった、と思いました。
レンタカーでも、JRでも、こういう景色はなかなか味わえない。

午後には彼と別れ、札幌へと、こんどは帰りが近くなる。途中で、宗谷岬からずうっと荷物の後ろにつけてきたキタキツネの旗がなくなってしまった。急に、寂しくなる。

最終回:小樽のガラスと藻岩山の夜景


 札幌の町に近づくにつれて、なんとなく、いままでの北海道のイメージが変わってくる。100万の都会だけあって、車は多いし、走りにくい。さらに小樽へ向かうと、渋滞はほとんど本州のそれとかわらず、時間の計算がかなりくるいました。
 やっと夕方、小樽の、倉庫のたちならぶ横を川が流れている、かなり整備された石畳の道へでた。(夜は照明が倉庫を映しだし、きれいだったろうが)写真を撮ってもらったのがきっかけで、50くらいのおじさんに、小樽の話などを教えてもらいました。
昔こそ船で賑わった場所だが、今はどんどん人が減っているという。そういえば、北海道では比較的歴史のある町だけあって、風景がいままでと違う雰囲気だ。よく言えば歴史を感じさせるし、悪くいえば、すこしごちゃごちゃしている。
 せっかくここまできたのだから、と「北一硝子」に寄ってみる。第一から第三までの店がそれほどはなれていない所にあり、そのひとつで、自分用のタンブラーを買いました。
彼女がいれば、ピンクの、ガラスの靴の置物がいいよ、とは人からきいていたが、その機会はのがした。手のひらに乗るほどのそれは、たしかに女の子へのプレゼントにぴったりに見えました。
 札幌の東急インが、このパックのその日の指定ホテルだったので、6時ころ、札樽自動車道をとばす。
 途中のユースの人が、いいよ、と勧めてくれた、「藻岩山」というところを、もうすっかり暗くなった道端で地図をみて探す。ロープウェイの道ではなく、自動車道を探すが、なかなかみつからない。ようやく料金所に着いたら、霧で、見えないかもしれないよ、との料金所の人の話。とにかく、登ろう、と走ったが、7分目くらいで、ほんとに何も見えない霧につつまれて、しかたなく、すこし降りたとこで夜景を見ました。
三脚で写真をとっていると、上からバイクの2台連れが降りてきて、やっぱなにもみえんわ、などとお互い苦笑い。山にすこし邪魔されたけど、夜景はきれいかった。
今度行った時は、山頂から見よう。
 8時にホテルにチェックイン。晩飯がわりに、友人からきいていた飲み屋をみつけに行った。「瑠っ久」という店である。付だしにかずのこの山盛り、それにバカでかいニシンの焼物(つまりかずのこが腹の中で焼けている)を平らげて、満足しました。


 札幌の町は明くる日、有名なとこだけ見たが、北大のポプラ並木に行き着くのに時間がかかり、あわてて昼前に、千歳空港へと向かった。また高速を使った。途中の料金所のおっさんが、「バイクは手が使いにくくて大変だろ」と言って、領収書をタンクバッグに差し込んでくれた。
 今でも心残りなのは、町中で、泊原発の試験運転反対の署名を募っていたのに、時間がなくて協力できなかったことである。

振り返ってみると、やっぱし一番いい風景だったのは、宗谷岬を東に過ぎたところですか。あんまりバスのパックツアーもいかない所だけど、日本離れしたあの風景はもう一度北海道を訪れれば目にやきつけたいシーンです。
GSは思ったよりもあったように思いますが、燃費の苦しい車にとっては、やっぱしこまめに早めに給油するのは当然でしょうね。「ほくれん」のGSが対応がよかったと思います。

以上、北海道を訪ねる方の参考になれば幸いです。(^^)
データが古すぎるけどね。